主体的学び研究所

32 教育の原点は家庭教育~廣津留すみれ・母子の二人三脚~

主体的学び研究所 顧問
土持ゲーリー法一

はじめに

 廣津留すみれ氏については、コラム25~27「大学教育の日米比較『井の中の蛙大海を知る』」(1)(2)(3)で詳しく紹介した。コラムに連続3回シリーズでとりあげるのは異例のことで、それほど筆者の心を動かした。
 その廣津留すみれ氏が、今度はテレビ朝日「徹子の部屋」に出演するとのことで見逃すわけにいかない。ところが、放送予定の2022年7月8日(金)、奈良市内の安倍晋三元首相銃撃事件と重なり、特別報道に切り替わり、延期となった。再放送が8月5日(金)にあった。
 番組のメニューは、「『学問』と『音楽』で2つの大学を主席卒業!『独自の教育』で才能を育んだ母も登場」であった。


日本の「主席」との違い

 廣津留すみれ氏は、テレビ朝日モーニングショーにも出演しているヴァイオリニストである。彼女の経歴は輝かしく、現役でハーバード大学に入学、主席で卒業した。アメリカの「主席」は、日本の「主席」とは違う。アメリカでは専攻ごとに決まるとのことである。彼女は、ハーバード大学の音楽専攻での主席であった。卒業後、ジュリアード音楽院大学院に進学した。ここでも主席であったが、サプライズであった。卒業式当日、壇上に呼ばれてはじめてわかった。ジュリアード音楽院を主席で卒業することは、難しいことである。音楽の演奏のみならず、「リーダーシップ」もその評価対象であった。
 筆者にとって、ジュリアード音楽院大学院がリーダーシップを選考基準としたことは驚きであった。彼女も演奏だけでなく、人柄を見るところがアメリカ的であると回想した。それは、彼女のリーダーとしての素質を高く評価した証である。
 アメリカでは、「強気」をアピールしないと「なめられてしまう」ところがあると経験談を紹介した。心の中では「弱気」でも、「できる」という態度を示さなければ、通用しない。すなわち、「態度」で示すことが重要であるとアメリカ生活での経験の一端を紹介した。このあたりは、日本と違うところである。日本では、「できる」との傲慢な態度を示せば、逆に反感を買うことがある。


「勉強ができる」と「頭が良い」のニュアンスの違い

 彼女が羽鳥慎一モーニングショーに出演していることから、応援ビデオメッセージがあった。羽鳥慎一氏のコメントのなかで、彼女は「勉強ができる」のではなく「頭が良い」と褒めたのが印象的であった。両者がどのように違うのか興味あるところで、人によって解釈が異なるところである。筆者は、アメリカと日本の教育の違いを端的に表現したフレーズではないかと考えている。この表現は、「意味深」で議論を呼ぶところであるが、さすがモーニングショーの司会者のなせる業であると感じた。


「出るところは出る」「引くところは引く」

 続けて、羽鳥氏は、彼女のことを「出るところは出る」「引くところは引く」ところがあると彼女の性格を分析した。これは、Leadership の“ship”の資質をうまく表現したものである。すなわち、リーダーシップが備わっている人は、状況判断に優れ、適材適所でリーダーになったり、フォロアーになったりすることができるということである。そのような人をリベラルアーツの備わった人と呼ぶことができる。すなわち、リベラルアーツを有する人は、プライオリティ(優先順位)を瞬時に判断できる人のことで、リーダーシップと共通するところがある。


家庭環境が子どもを伸ばす

 廣津留すみれ氏は、2歳で母親の指導で英語をはじめた。3歳でヴァイオリンを習いはじめた。英語は、「ゲーム感覚」で学んで、自然と身につけたと振り返った。高校1年のとき、はじめてパスポートを作って、イタリアの国際コンクールに臨んだ。そこでグランプリ獲得、副賞として全米演奏ツアーの栄誉を勝ち取った。全米演奏ツアーの最後がニューヨークのカーネギーホールの晴れ舞台であった。
 番組の途中から、母親の廣津留真理氏も加わった。塾に一度も行かず、生まれてから18年間家庭で教育した。2歳から母親が英語を教えた。それも「勉強しなさい」というタイプではなかった。2歳のときに、中学3年までの英語を習得させる手作り教材を番組で紹介した。壁に英会話のスロットを貼り、自然に真似できるようにして、4歳までに中学3年の英語をマスターした。「真似るだけで」学んだ。
 筆者は、これはアメリカのTESOL英語教授法に似ていると感じた。TESOL(テソル、あるいはティーソル)とは、Teaching English to Speakers of Other Languages の略語で、英語教授法という学問領域のことである。つまり、英語を母語としない者に英語を教える方法を学ぶコースのことである。アメリカでは「難民のための英語」教授法としても知られる。文字が読めない人が耳で聞いて、真似て覚える手法で、日本人が英文法から学ぶ学習法とは大きく異なる。
 英語のフレーズを無作為に床に置いて、それを並び替えて文章を作成させる手法も番組で紹介した。文法ではなく、ゲーム感覚で憶えさせたと話した。楽しく学ばせるというのが母親のモットーであると強調した。すみれ氏もそれが勉強だと思ったことはなく、遊び感覚で英語を学んだと同意見であった。母親の教授法は、体験学習、身体で憶えさせる「幼児英語教育」に似ているとの印象を受けた。
 母親は、高校の英語教員の資格をもち、外国語が好きで、海外でもすぐに現地のことばに馴染んでしまうところがあると話した。母親の英語学習法は「耳から学ぶ」ところがあるとその体験談を紹介した。そこでの経験から、真似て学ぶという英語学習法を編み出し、娘にも実践させた。
 週末には、ホームパーティを開いて、いろいろな人との交流の輪を広げた。子どもに、多様性の時代がくると説明してもわからないので、多くの外国人をホームパーティに招待して、「多様性」を肌で体験させることができたと当時を回想した。ホームパーティの噂が広がり、世界中から訪問者が押しかけた。食べ物は、持ち寄りで、楽しくホームパーティを開いた。ハロウィーンのときは、多種多様なドレスをまとい賑やかであったと振り返った。
 母親がハーバード大学の学費を値切ったという噂の「真相」についても言及があった。母親はその事実を認めた。彼女は性格上、何ごとにも疑問をもつタイプであると自己分析した。なぜ、学費が「定額」なのか、人によって違っていいのではないかとの素朴な疑問があった。そして、ハーバード大学では人によって授業料が違うことがわかった。それを聞いて、娘をアピールして「学費を値切った」というエピソード紹介した。すなわち、この大学に入れてもらえれば、貢献して還元できるなどがそうである。


チェロ奏者ヨーヨー・マ氏との運命的な出会い

 その後、ハーバード大学に進学した。最初は、音楽家になる道は決めていなかった。最初は英語に苦労した。日常会話はできても、授業内容を理解するのに苦労して多くの時間を取られ、演奏家になる夢は半ば諦めていた。
 演奏家になるきっかけは、大学3年のとき、チェロ奏者ヨーヨー・マ氏と出会い、共演させてもらったことであった。ヨーヨー・マ氏の演奏はもとより、その人柄にほれ込んだと当時を回想した。彼との出会いが音楽家になろうとの決断になった。彼についての印象は、演奏家だけでなくて、曲の背景であったり、どういう人に伝えたいかであったり、演奏の先を見すえる人だなとの印象を受けた。彼を通して、ヴァイオリンの素晴らしさを実感するようになった。人との運命的な出会いが重要であることは言うまでもないが、それを自分のものとして、さらに切り拓くのも彼女の才能である。
 そのような経験もあってか、修士号で音楽に挑戦しようと思うようになったのかも知れない。廣津留すみれ氏のロールモデルはヨーヨー・マ氏ということで、ジャンルを超えて活躍したいとの抱負を語った。クラシックだけでなく民族音楽とのコラボレーションのようなことも手がけたいと述べた。ヨーヨー・マさんは、人間的にも魅力的な方だと黒柳徹子が番組を締めくくった。


おわりに

 『ウィキペディア』によれば、ヨーヨー・マ氏は、1955年生まれのフランス出身のチェリストで、中国系アメリカ人である。1960年、4歳でチェロをはじめる以前の幼少の頃より、ヴァイオリンやヴィオラを習い、5歳にしてすでに観衆を前に演奏した。7歳の時にはジョン・F・ケネディの前で演奏を披露した。1946年に、ハーバード大学を卒業、人類学の学位を取得した。ハーバード大学入学前にジュリアード音楽院でレナード・ローズの下で学んだが、「君に教えることはもう何もない」といわれ、コロンビア大学を経てハーバード大学に入学したという逸話がある。
 上記からもわかるように、彼の経歴は彼女と重なるところがある。彼女が彼をロールモデルにする理由もわかる気がする。
 このコラムを書き終え、筆者は、これは廣津留すみれ氏だから実現できたことで、多くの要因が重なった結果であり、誰でも同じように達成できるものではないと考えている。そして、教育の原点は、家庭教育にあることをあらためて学んだ。

(2022年8月23日)
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