主体的学び研究所

49 不確実性の時代に求められる「羊飼い型リーダーシップ」とは

主体的学び研究所 顧問
土持ゲーリー法一

はじめに

 昨今ニュースで話題になっている自動車保険金不正請求を巡っての大手業界トップのリーダーのあり方が厳しく批判されている。そこでは、未だに、リーダーとリーダーシップが混同している。封建的な土壌の強い日本では、「親分肌」のリーダーが率いた悪習が残存している。同社長の責任の取り方がすべてを物語っている。辞任すれば済むという「事なかれ主義」の態度には、リーダーシップの「カケラ」もない。これでは社長や会社のリーダーシップのあり方が問われる。
 リーダーシップとマネジメントを一体化して考える傾向が見られる。たしかに、リーダーシップにはマネジメントを営むようなものが含まれるが、それは、厳密に言えば、「リーダーとマネジメント」ではないかと考える。
 本コラムでは、「リーダーシップとは何か」「リーダーシップには何が必要か」を考える。電通育英会設立60周年記念の一環として、IKUEI NEWS 別冊『リーダーシップを考えよう』が 2023年7月に刊行された。これからも電通育英会が「リーダーシップ」にいかに力を入れているかがわかる。「おわりに」のところでは、「当財団の会報誌『 IKUEI NEWS 』で、3年間にわたり『リーダーシップ』とはどのような意識や行動の在り方なのか、いかにして身に付け、発揮すべきかについて12名の有識者の方々にさまざまな視点から語っていただきました。」と述べているように、この分野の第一人者が大所高所からリーダーシップについて語ったもので学ぶことの多い別冊に仕上がっている。
 しかしながら、読み終わった後、何か物足らなさが残ったというのが率直な印象である。なぜなら、どのようにすればリーダーシップを身につけられるかが十分に描かれていないからである。もちろん、リーダーシップとはこうあるべきだと短絡的に定義づけられないところに奥深さがあることは十分承知しているつもりである。それでも、そこが知りたいと思う読者は少なくないはずである。
 これまでリーダーシップについて多くのことが語られてきた。どの時代のリーダーシップもその社会背景を反映したもので、当時の社会情勢が凝縮されている。言うまでもなく、現在の不確実性の時代におけるリーダーあるいはリーダーシップのあり方は、それに相応しいものでなければならない。すなわち、タイトルのように、新しい「羊飼い型リーダーシップ」が求められているのではないかと考える。
 問題はリーダーにあるのではなく、それを取り巻くフォロワーの資質が育っていないところにあると考えている。したがって、フォロワー型の「羊飼い型リーダーシップ」が求められる所以がここにある。
 なぜ、日本ではリーダーシップ論が欠如しているのか。理由は明白である。それは、戦後日本の高等教育史がいみじくも証明しているように、経済優先で効率化が優遇され、専門教育に偏り、人間の根源であるリベラルアーツ教育を蔑ろにした「しっぺ返し」である。換言すれば、リーダーシップは、リベラルアーツ教育によって培われるもので、両者は表裏一体の関係にある。さらに、批判を恐れずに言えば、別冊のリーダーシップの議論には、スカラシップの概念が含まれるべきである。

「資質」(~SHIP)とアセスメント

 スカラシップもリーダーシップも語尾に「シップ」が付けられている。これを「資質」と日本語訳しているが、その理解度は人によって差異がある。この「シップ」の理解度が乏しいと重要性を見誤る恐れがある。ここでの「資質」には可視化できるものと可視化できないものが含まれている。日本では、可視化できないと客観性がないとの偏見があり、数量的なものしか評価しない傾向がある。たとえば、ハーバード大学がハーバード大学たる所以は、可視化できない未知の資質の発掘に力を入れているところにある。すなわち、スカラシップは成績優秀であるから授与されるという近視眼的な考えではなく、将来の可能性も含むものでなければならない。厳密に言えば、「評価」ではなく、「アセスメント」的に測定されるものでなければならない。

根底にある「シティズンシップ」の考え

 この「シップ」の重要性については、「シティズンシップ」を例に挙げればわかりやすい。これは「市民性」とか、「市民権」と呼ばれる。アメリカのコミュニティカレッジでは、シティズンシップに関する講義が開講されている。さすが移民国家アメリカを象徴している。アメリカ人として帰化する場合の最低限の基礎知識、アメリカの歴史、憲法、歴代の大統領名などを学ぶというのが一般的である。その後、シティズンシップに関する筆記試験と面接が行われ、最終的には、二人の保証人が宣誓することになる。保証人はアメリカ国籍を有し、当該「外国人」を5年以上にわたって熟知し、アメリカ市民として十分な「資質」があるかどうかを法廷で「宣誓」しなければならない。

アメリカの大学におけるリーダーシップの考え

 筆者は、『教育学術新聞』( 2441号、2011年5月11日付け )論考「最近のアメリカの大学事情 ―入学試験、リーダーシップ、就職―」の中で、「リーダーシップ」について取り上げたことがある。事の発端は、東日本大震災による壊滅的な状況が報道されるなか、菅首相がメディア取材の表舞台に姿を見せないことに不満の声があがり、首相のリーダーシップが見えないことに苛立ちが募り、『読売新聞』(2011年3月24日、朝刊)の中で、枝野官房長官が23日の記者会見で、「(首相は)慌ただしく過ごしている。表に見える形で動くことがリーダーシップとして効果的な場合もあるが、多くの場合は、必ずしも目に見えるものではない」と首相の仕事ぶりを説明した。この報道は、「リーダーシップとは何か」を考えさせる動機づけとなった。
 アメリカの大学では、リーダーシップを育てることに重点を置いているため、そのような科目を提供しているところが多い。それは、学生が「リーダー」になるためだけでなく、「リーダーシップ」としての資質を育てるためである。「リーダー」には誰でもなれるわけではないが、「リーダーシップ」は地位に関係なく、誰でも発揮することができる。なぜなら、「リーダーシップ」の資質には、責任を持って仕事をする、物事を継続する力がある、様々な経験を生かす、知識に優れている、仕事が機敏である、独自性を持っているなど、大学教育の中で育てられるからである。すなわち、「リーダーシップ」には、あるときは「リーダー」として表舞台で指揮が取れ、別の場面では、裏舞台で影響力を与えることのできる柔軟性が求められる。

リーダーシップとフォロワーシップの関係  ネイティブアメリカンの事例

 ユタ・バレー大学( UVU )リーダーシップ・アドバンスメント・センター( The Center for the Advancement of Leadership )のカーク・ヤング( Kirk Young,Interim Director )氏は、両者の違いを以下のように説明してくれた。
 「リーダーシップ」には、独自の才能と技量があり、状況に応じて発揮することが求められる。同センターでは、学生の独自性と最善のスタイルに気づかせ、効果的に影響力が発揮できるようにトレーニングしている。しかし、多くの場合、自分にどのような資質があるか、どのような場面で発揮すれば良いかわからない。そのため、他のリーダーを真似たりするが、不自然でうまくいかないことが多い。リーダーシップ・トレーニング授業では、「フォロワーシップ(リーダーに従う能力や資質)」についての概念を学ばせている。たとえば、大学や企業において成功しているチームを見ればわかるように、フォロワーはリーダーと同じように重要な役割を果たしている。そこでは、単に、リーダーの指示に従っているだけでないことに気づくはずである。リーダーがどんなに優れていても、フォロワーが機能しなければ、効果的なリーダーシップは発揮できない。このように、リーダーとフォロワーは不可分の関係にあり、互いに同じ目標や方向に向かっていなければ十分な効果は得られない。
 リーダーとフォロワーの資質を状況の変化に応じて使い分けることが重要である。たとえば、リーダーシップについても一面からしか見ない傾向があるが、別の側面からも見る必要がある。彼の授業では、ネイティブアメリカンの戦士として有名なシッティング・ブル( Sitting Bull )を事例にあげて説明している。


https://academic-accelerator.com/encyclopedia/jp/sitting-bull

 シッティング・ブルは、小さな部落の若い男性で、酋長の指示に従って行動していたが、ひとたび戦争がはじまり、戦士を率いる状況が生じたとき、彼は率先してリーダーシップを発揮して先陣を切り、リーダーとしての役割を演じて戦勝した。そして、再びフォロワーに戻ったというストーリーである。これは、シッティング・ブルが自分の資質を知り、状況の変化に応じてリーダーシップとフォロワーシップを上手に使いこなしたという事例である。
 これに関連しては、IKUEI NEWS 別冊『リーダーシップを考えよう』の第12回の小野善生氏の「『リーダーシップ』と『フォロワーシップ』を状況で使いこなす」に詳しい。
 リーダーシップの新たなアプローチに「学生の力を活用することに着目したい」との動向が見られたことは、これからのリーダーシップ議論の躍進がつながる。(『教育学術新聞』(2023年8月9日)を参照)

論考「不確実な世の中を進むリーダーは、『羊飼い』になれ」

 IKUEI NEWS 別冊『リーダーシップを考えよう』第3回村上由美子氏の表題の論考は説得力がある。多分、筆者と同じような教育をアメリカの大学で受けたからかも知れない。何よりも「羊飼い」というアイデアが目を引いた。
 筆者の育った時代もカリスマ性の強いリーダーがリーダーシップを有していると誤解された。ハーバードビジネススクールについて報道したNHKの古い番組では、ビジネス界で成功した女性社長がゲストとして登壇し、リーダーとしての成功事例を紹介し、学生が熱心に耳を傾ける様子が印象的であった。そのようなリーダーがリーダーシップを有していると崇められた時代があった。
 村上氏は、「最近のリーダーシップ論で扱われるのは、多様な人々を巻き込んで後方から道筋を誘導するようなリーダー。英語では『 Shepherd Leadership 』(羊飼い的なリーダーシップ)といいますが、ここ10年ほどでリーダーシップのトレンドは、カリスマ型から羊飼い型へと変わった印象があります。」と述べ、このような変化が起きた理由について、「社会の不確実性が高まることにあります。テクノロジーの進化や、昨今の新型コロナウイルス感染拡大もそうですが、激変する現代社会では次に何が起こるか予測できません。一寸先は闇の状況下で、一人で方向性を決めて組織を率いるのは極めてリスクが高い。だから、さまざまな人を巻き込んで、複数の視点で活かせる羊飼い型が有効なのです。」と説明している。
 「リーダー」は混乱を招きやすい語彙である。リーダーとは先頭に立って率いるとのニュアンスが強いが、いま、求められる「羊飼い型リーダーシップ」は「後方からサポートする」というもので、リーダーの姿勢には、言葉の意味は変わらないが、行動やあり方が変わるというパラダイム転換が起こっている。
 そのほかにも、村上氏は「いかに個人の能力を引き出せるか」、「一人ひとりが異なった天才的な能力を秘めている。」の引用文など示唆に富む表現が目に留まった。まさしく、個人の能力を引き出すことが Education の語源であり、一人ひとりが天才的な能力を有しているとの引用は、「 Gifted 」を示唆している。これは、「天賦の才を持つ人々」という意味で、同世代の子どもよりも先天的に高い能力を持っている人のことを表している。


https://canaan.blog/good-shepherd/

異能な人を率いる「羊飼い型リーダーシップ」

 これに関連して、YouTubeで小泉進次郎参議院議員がコーディネーターとなって、「リーダーの新しい形:異能な人を率いる『羊飼い型リーダーシップ』」と題したトークショーがあった。参加者は、サキコーポレーション社長・秋山氏×プロノバ社長・岡島氏×インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢代表理事・小林氏×衆議院議員・小泉氏であった。女性3名のリーダーというのも「リーダーの新しい形」を象徴するもので、約30分のトークが短く感じられた。歯切れがよく、明朗な説明で分かりやすかった。とくに印象的であったのは、「羊飼い型リーダーシップ」を「質問型リーダーシップ」とパラフレーズしたところであった。「質問する」ことはリベラルアーツ教育のなせる技である。これまでのリーダーは、自らのビジョンを前面に出すことを良しとしたところがあったが、「羊飼い型リーダーシップ」は、自分のビジョンを抑えて、前面に出すのではなく、一歩下がって素朴な質問をすることで、相手の意見を引き出すテクニックを有していると説明した。多様な価値観が存在する不確実性の時代には、このようなリーダーシップが求められることになる。詳細は、https://www.youtube.com/watch?v=JykgGojFgHw を参照。

おわりに

 リベラルアーツ教育では、批判的思考力、洞察力、柔軟性、機敏性などが培われる。これまで戦後日本の大学でリベラルアーツ教育が欠落したことが、これからの不確実な社会で露呈されることは明らかであり、冒頭の自動車保険金不正請求報道におけるリーダーとリーダーシップとの混乱は氷山の一角に過ぎない。突き詰めれば、国民全般に「リーダーシップとは何か」が浸透していない証である。リーダーシップには、シティズンシップと同じように、市民性を問う「資質」となるものがなければならない。