主体的学び研究所

42 リベラルアーツとは何かを問う(その2)

主体的学び研究所 顧問
土持ゲーリー法一

リベラルアーツ・カレッジと州立大学の違い

 『アメリカのリベラルアーツ・カレッジ~伝統の小規模教養大学事情』(玉川大学出版部、1991年)の著者(宮田敏近氏、以下同じ)は、日本における一般教育の直面している問題について、サウスカレッジの同僚に質問している。すなわち、「リベラルアーツあるいは一般教育科目については、日本では無駄であるとか、面白くないとか、教員が教えるのを敬遠するといった問題があるけれど、あなたの大学では?」との質問がそうである。この質問に対して、「専門の優れた教員が1学年を担当することもある。そうすることによって、できるだけ良い学生を自分たちの科にひっぱりこもうとする目的もある。しかし、州立大学では大学院生が1、2年生を教えることが多い。これが問題になる。」(246頁)と紹介している。アメリカの州立大学では、大学院生が学部の1、2年次を担当することは一般的である。多くの州立大学では、そのことで授業料が免除されている。博士課程の学生なら、将来、大学の教壇に立つための経験になる「プリFD」の役割にもなるので、日本の非常勤講師の役割に匹敵する。その点、リベラルアーツ・カレッジでは、優れた教員が授業を担当するので、質の高い授業が最初から施される。これが、州立と私立の大きな違いである。多くの優れた総合大学(たとえば、筆者が授業見学したミネソタ大学の初年次授業)でも1、2年次の基礎教育に当たる部分は、「碩学」と呼ばれる教育者が担当することがある。日本の大学とは真逆である。日本では3、4年次のゼミが重視される。

ボイヤー『アメリカの大学・カレッジ』

 著者は、ボイヤーの『アメリカの大学・カレッジ』(喜多村和之他訳)を紹介している。アメリカにおける大学・カレッジを語るときの「バイブル的な」存在である。

 そこでは、「リベラルアーツ・カレッジを卒業した学生の第一の悩みは、就職難にあると指摘する。(中略)ボイヤーはさらに注目すべきことを言及している。そのようなリベラルアーツ・カレッジを卒業した者たちの圧倒的多数が、大学で受けた教育に肯定的であるということである。」(248頁)と述べている。これは、相反する指摘であるがリベラルアーツ・カレッジの「葛藤」を的確に表現している。


英国のリベラルアーツ教育

 著者は、イギリスの大学と比較している。すなわち、「英国の大学はヨーロッパ型であり、大学においてリベラルアーツ教育は施さない。しかし、このチュートリアルが、英国の伝統に沿う大学に独自性を与える。」(249頁)と述べ、チュートリアルがリベラルアーツ教育を代替していることを示唆している。
 さらに、「英国の大学が、ヨーロッパ型でありながら、リベラルアーツ教育を行っているとは言えない。それについて、アシュビーは Any Person, Any Study(註:Eric Ashby, Any Person, Any Study: An Essay on Higher Education in the United States (McGraw-Hill, 1970))の中で、『英国の大学は、現代社会のひとつの必要性、つまり医師、技師、経済学者などを育成するのに効率的な専門高等教育機関となるということには成功した。しかし、もうひとつ現代に必要とされていること、つまり、ジェネラリストを教育するという必要性には、うまくこたえていない』と述べている。一方、彼は、幅広い教養教育は、英国では中等教育の段階でなされるという理解に対し、それは、大学入学のための共通テスト『Aレベル』の影響により、嘆かわしいほどにバランスを失っており、その理解は間違いであるとする。」(249~50頁)と批判されていることも紹介している。これから現代社会において大学には、二つの役割が課せられていることがわかる。ひとつは専門教育として、もうひとつはジェネラリストのための教育である。後者のジェネラリストを教育することが、英国においても不十分であるとの認識である。


「ジェネラリスト」とは何か

 宮田の著書から離れるが、リベラルアーツ教育に言及するときに避けて通れないのが「ジェネラリスト」という考えである。
 「ジェネラリスト」とは何か。以下にネット( https://www.motivation-cloud.com/hr2048/c238 )から抜粋する。「ジェネラリストとは、元々は、幅広い知識や技能、経験などを備えた人を指す言葉です。ビジネスの場においては、ひとつの分野を深く追究するのではなく、幅広い知見と多面的な視野により、さまざまな分野の担当者たちをまとめ上げる役割を担う人材を指すことが多いです。また、状況の変化に柔軟に対応できる人、臨機応変に対応できる人を指して、ジェネラリストという場合もあります。」と定義づけている。まさしく、リベラルアーツと同じ資質を備えた人と言い換えることができる。
 日本語でも「ジェネラリスト」という言葉は定着してきている。「ジェネラリスト」は、英語の generalist が語源である。英語では、「多方面の知識を持つ博学な人」という意味の言葉である。
 「一般教育」の英語名は、General Education であるが、その語源が General(ist) と考えると「一般教育」が幅広い教養教育を学ぶリベラルアーツ教育であったことも頷ける。
 次に、スペシャリストとは何かについてである。「スペシャリストは、特定の分野において専門的な知識・スキルを有する人を指す。いわゆる「専門職」である。たとえば、営業や企画、人事などを経験しながら総合的な知識を身につけていくのがジェネラリストだとすれば、スペシャリストは、エンジニアや医者などのように特定の分野で専門的な知識・スキルを深めて仕事に取り組む人たちということができる。
 ジェネラリストの特徴を要約すると、「①広い視野がある、②行動力、決断力がある、③コミュニケーション能力が高い」ということができる。これが「一般教育」のあるべき姿であり、リベラルアーツ教育ということができる。


おわりに

 著者は、ニューヨーク州にあるリベラルアーツ・カレッジ、アデルフィ大学(Adelphi University)の『大学便覧』の中に、「真のリベラルアーツ教育は、絶えず、急速な変化をとげる世界に、充分に対応していけるだけの備えを学生諸君に与える」(251頁)との記載を紹介している。まさしく、コロナ禍の激動でも耐えうる柔軟性・適応性を身につけることに値するものである。
 著者は、「あとがき」で「教養教育でリベラルアーツ・カレッジが成功しているとすれば、それはカリキュラムによって成功しているというより、その方法論においてすぐれていると言うべきであろう。」(289頁)とまとめている。このカリキュラムよりも方法論が重要であるとの指摘は、アーツ(技法)の重要性を喚起するもので、何を教えるかよりも、どう教えるかという、教員の教授法にかかっていると言っても過言ではない。
 以上からも、日本では専門教育に偏り、リベラルアーツがなかなか浸透していない。したがって、社会に出てからでもリベラルアーツを学ぶ機会を提供する必要がある。その意味で、 コラム41の冒頭で述べたように、「リベラルアーツプログラム for Business ~ビジネスに活きる新時代の教養を学ぶ」と題する動画が注目され、その動画満足度「85%」以上という数字からも、世の中のビジネス界がリベラルアーツに「枯渇」していることが明らかである。このような社会状況を鑑み、いま、熱い議論が交わされているリスキリングやリカレント教育の再考察につながるのではないかと考えている。

(完)
(2023年3月14日)
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