主体的学び研究所

映像による知覚と記憶について

映像による知覚と記憶について

このブログ欄で最近よくロックやルソーに触れますが、「エミール」の中に次のような論述があります。「理性の時期のまえには、子どもは観念でなく映像をうけとる。映像はそれを見る精神のうちに単独に存在することができる。」 これで気がついたことがあります。初等教育時代を振り返ると好きな授業の記憶は内容を覚えているのではなく、教師が黒板に書いた映像(記号)を覚えているということがあります。好きな授業(先生)というのがもうひとつのポイントで、必要に迫られた学び、即ち主体的な学びの状況が前提での話ですが。

学習塾では様々な映像活用をしていますが、ある大手学習塾ではppt(パワーポイント)を使いません。横長の黒板を使用します。理解するということは、論理的なプロセスを理解することであり、ひとつの絵柄では説明できないからです。絵柄の連続したものを視覚的にも知覚することで、より記憶になっていくと考えているからです。

主体的学び研究所のスポンサーであるメディアサイトは授業を映像化することで、「教育サービスのストック化」による付加価値を創出しています。とりわけ講義形式の授業を受けた後の学生の記憶をテストすると1回の講義が如何に記憶に残りにくいかがわかります。映像のまた別の活用の仕方です。来月発行予定の研究所雑誌には、「主体的学びに授業映像収録はどう役立つのか」というテーマで所長の小篠洋一が記述します。是非ご一読ください。

 

研究員 花岡隆一

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