主体的学び研究所

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3月5日は何の日か知っていますか?

・・・答えは
月面にX(エックス)の文字が浮かび上がる日です!
就実大学で観望会が開かれますので、月面Xを見てみませんか?

当研究所フェローの中西徹先生(就実大学教授・学長補佐)が
エレクトーン奏者の薮井佑介さんと
天文と音楽の対談イベントを行います。

詳しくはこちら!

ICEアクティブラーニングについて<カナダSue先生を囲んで>

ICEアクティブラーニングに関して、「students exiting things happen」を生徒と共に推進している柞磨先生(前県立安芸高等学校校長、現在は県立祇園北高等学校校長)のご活躍は何度か紹介している。

この程、ICEの開発者であるSue先生とICE taxonomyを効果的に活用している大学の先生方との座談会を開催したのでその話しをしたい。著名なtaxonomyの考え方とICEの位置づけ、critical thinking、発問の重要性、ICEに関する多様な解釈や活用事例、assessmentについて、質的評価を可能にするICE rubricの意味付け、何故学生(生徒)はICEによる授業で夢中になることができるのかなどの広範のテーマで意見交換した。

ICEアクティブラーニングの目的はstudent engagementを推進することであることは論を待たない。つまり教育の再定義である。具体的には学ぶ個人がそれぞれの意味を創りだすことであり、学習者が深い学びのアプローチを実践できる環境をつくりだすことである。この学びのプロセスを評価するのがICEモデルである。従ってICEには負の評価は存在しない。全てが肯定である。ICEは直線的な学びの段階を示すものではなく、螺旋的に継続成長していく学びのエリア(framework)である。

広島県立安芸高校の田辺先生を筆頭にした先生方が3年に亘り生徒と共になって開発した「カナダを超えるICEモデル(授業設計)」は(I)(C)(E)のそれぞれのエリアに多様な意味付けを行い試行錯誤をした。それは(I)(C)E)がフレームワークであることを前提として考えていたからである。その結果、super(E)という考え方を開発した。(E)から始める授業設計も開発した。I(c)という考えから数学の三角関数や対数の生徒の理解が飛躍的に高まった。生徒が深びのアプローチができるようになり、学びの個人的な意味付けができるようになってきた。ICEの存在しない授業は生徒が拒否するようになってきた。

今回の座談会でカナダと日本でのICEの実践の方向性が基本的に一致したことはとても嬉しいことである。今後日本とカナダが一層の連携を図りつつ学生(生徒)と教師が一緒に作り出す授業設計の発展につながることを期待したい。

 

研究員
花岡隆一

年末年始のお知らせ

当研究所の年末年始の予定は...
12/28~1/3はお休みをいただきます
1/4から始まります

今年もお世話になりました。皆さまよいお年をお迎えくださいませ!

大学の約束~トップメッセージフォーラム2016 より

日経ホールのセミナーで企業と教育のトップが大学教育について、ダイバーシティ、グローバル人材育成、リベラル・アーツ教育などのテーマを語った。

日本の大学がこのままでは世界に置いていかれるという危機感があります。大学人は社会への変化も意識した教育改革について様々に模索しているが、どうも一向に変わらないのは企業(社会)の方ではないかと感じた。

特に、リべラルアーツ軽視の教育は社会をそのまま反映しているはず。土屋恵一郎学長はりべラルアーツとは自分の文化を一旦離脱して、他者の考えや文化を理解して後に、改めて世界市民の目線で協同活動ができることであり、今の日本人が一番弱いところであると指摘された。グローバル人材とはまさにリベラル・アーツを底流にもっているということである。その流れにある「国際教養学部」新設の発表には会場も驚いた。

田中優子総長の言われた、学生には自分の言葉を探し続けて欲しいという言葉も翻ってみるとリベラル・アーツの精神であると思う。

九州大学が「共創学部」の新設の発表をしたが、現在の学問体系、学会では解決できない問題が自然および社会現象にあるため、従来の枠にとらわれない未来の開拓者を目指す教育をするプラットフォームを構築したいということには賛同したい。

 

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花岡隆一

カナダから学ぶアクティブラーニング

STLHE(Society for Teaching and Learning in Higher Education)のワークショップに参加してアクティブラーニングのための授業設計を学んだ。すべての視点が学習者中心である。Learner has the owner ship of Learning.

学習のプロセスは、Content、Outcome、Stratedgy、Assessmentを辿るがその中心にLearnerがいます。授業設計はこのプロセスの中でLearnerの視点で絶えずalignmentが行われていきます。Learnerは変化していくため。従って授業は学習者の変化に応じて変わっていきます。ここで大切なことは、変化したことをリフレクションしていくこと。 Learner is non-linear but recursive.

私たちはICEモデルの普及推進をしているが、授業方法には常に新しいものが提案され、実証されている。新しい取り組みはbach and forceでリフレクションされたものであり、Bloom’s taxonomyもICEも歴史的な蓄積の上に開発されたものである。

 

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花岡隆一

アクティブラーニングの脳的プロセス

アクティブラーニングの脳的プロセスについて考える。学びが主体的に学習者に受け入れられ、内的葛藤を経て、新たな価値創出へ繋がっていくか、また自分の経験や思いにコネクトしていくのかということが、バフチンの「小説の言葉」に記述されていたのでご紹介する。(ミハイル・バフチン「小説の言葉」(平凡社)

他者のことばの伝達と描写、の章からの引用です。
「他者の発話、他者の言葉の伝達とそれについての論議は、人間のことばにおける最も普遍的で本質的なテーマの一つである。他者の言葉の理解と解釈の仕方が我々に対して持つ重要性(生活解釈学)である。それを習得しつつ伝達する二つの基本的な学習方法ー<その言葉通りに>と<自分の言葉で>ーがある。後者は、他者の言葉を二声的に語ることである。内的説得力のある言葉は、それが肯定的に摂取される過程において、<自己の言葉>と緊密に絡みあう。」

ここに開かれた自分と他者とのコネクトが生じます。

さらに引用します。「権威的な言葉(宗教、政治、道徳上の言葉、父親や大人や教師の言葉)は意識にとっては内的説得力を失っている」

権威的な言葉は不活性となり、自分にコネクトしていかないのです。そこに教師の難しさがあります。

 

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花岡隆一

芸術家を育てる教育について

国立音楽大学の中西千春先生より興味深い研究についてご報告頂いた。「12名の音楽教師にBloom taxonomyを活用した授業設計」で学んでもらう実証である。音楽のような芸術に思想的、構造的な教育工学は不要、否感性教育の障害になる可能性もある、ということが言われている。従ってこうした取り組みは殆ど行われていないようである。

もうひとつの研究は、ドイツの教育学者のRittelemeyer(ゲティンゲン大学)で、心臓移植をしたマウスにオペラを聴かせる実験をした結果、生存が長引きした。芸術と知的活動が部分的ではあるが同一の脳神経領域で処理されることが、脳科学研究でわかりました。音楽を聴くことは言語能力や数学的能力をの発達を促すことが実証された。(演劇やダンスなどもそれぞれ転移効果がある)(「芸術体験の転移効果」(Christian Rittlemeyer 遠藤孝夫訳)

海外オペラの日本公演プロデュースで活躍中の児玉晶子さん(現、東急Orbシアター)に一流の音楽家の教育についてお聞きした。同氏のコメントである。
「経験で感じるのは、芸術家として一流レベルの人達は、あらゆる方面のことを彼らの思考のため(=自分の糧にして、芸術に昇華するため)に知りたがる、刺激を受けたがる、といっても過言ではないです。まさに、そういう本能が普通の人より超貪欲なのがアーティストな気がします。真っ白なキャンバスに、イチから描く絵画をやる画家に比べると、確かに音楽家は再現芸術で、なぞればよい楽譜があるので、哲学マストではなくとも、とりあえず音は出せるかもしれませんが、本当に人に感動を与える演奏をするには、思考して、そのアーテイスト自身の何かを昇華させない限りは、ロボットの自動演奏の方が完璧な日が来てしまうと思います。」

五嶋節著「天才の育て方(講談社現代新書)」

千住文子著「千住家の教育白書(新潮文庫)」

「ピアニストは語る」(ヴァレリー・アファナシエフ著 講談社現代新書)でも数学への愛がピアノ演奏に影響していると言います。ロシアピアニズムという音楽教育システムがあるが、それが一流音楽家を生み出すのではないと。またミハエル・バフチンは、芸術性の本質とは、その構造分析が必要であり、たとえば散文芸術を構成する要素を分析している。

 

(感想)
日本では芸術の社会性について深く考えられていないように思う。中西千春先生の研究は幅白い視点でさらに深められる必要を感じた。リッテルマイヤーの研究の、教育における感性教育はますます重要になるのではないか。AIによりロボットにモラールがいれられるかという問題に沿っても。

 

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花岡隆一

アクティブラーニング授業見学(藤崎竜一先生の救急救命士コース授業について

秋も深まりつつある10月末、帝京板橋キャンパスで行われている藤崎竜一先生(医療技術学部スポーツ医療学科救命救急士コース、医学部救急医学講座・ER)の授業を見学させて頂く。「眠らない授業」「命の授業」というタイトルで呼ばれている。授業設計の意図については事前に論文を読んでいる。

13時15分から演習を含めて16時30分に終了した授業は、これまでに経験したことがない、「アクティブラーニング」であった。学習者が学びへの主体的を自ら喚起せざるを得ない授業設計になっている。その最大の秘訣は授業そのものを学習者(学生)が作っていくからである。従って、学習者の意思で授業はどのようにも変化する。学習者は常にグループで思考し、行動するのだが実はこのグループの中で個人の葛藤が生まれている仕組みがある。グループ間でのピアー学習とグループ内個人間でのピアー学習が埋め込まれていることは、シラバスと授業評価の方法を見ると明らかになる。後述するが、評価データにLA(Learning Analytic)を用いて全員の学習プロセスを観察して次のステップへつながる支援をしている。これには驚いた。

繰り返しになるが、学生が自ら授業をつくり、その評価を自ら作るテストで学びの確認をしていくという授業で、どうして眠ることなどありえようか。45時間は予習・復習を含めての時間であると言われるが、この授業は参加した時から生活そのものが授業に張り付くのである。授業設計のシナリオライター、プロデューサー、プレイヤー、聴衆、そして評論(審査)員になるのであるから面白くて仕方がない。次回はどんな学びを創出するか。自分は足場かけ(Scaffolding)しているだけで、むしろ自分が学生から学ぼうと思って授業に出ていると、藤崎先生は語る。授業前に自分の血を採取して教室に持ち込むのも、リアリティの学びをしたいからである。

授業風景を少し記述する。今回は少し難解な「動悸」を学ぶ授業で、6グループが別々のテーマに取り組む。洞不全症候群、心房細動、心室瀕拍、房室ブロック、期外収縮、心因性瀕拍と「動悸」を関連づけて、患者の観察―病症の想定―対応などをチームとして結論づけていく。(テーマの全体は前回に与えられているが、どれに当たるかは当日まではわからないので全部予習する必要がある)因みに、藤崎先生は救急救命士コースの学生に医学的知識に関しては医師のレベルを要求する。(傷病者の発生から救急搬送までであったのを、傷病者の発生から入院(治療:(医師としての対応))まで入るように学生へのプレッシャーのレベルを上げていくなど)冒頭に藤崎先生の体験をいれた医師としての解説をする。

各グループは6-8名で構成されるが面白いのはグループ内で議論を重ねるために教室を出てキャンパスのいろいろなところに行く。例えば図書館、空いている教室やスペースなど。1時間のこのグループ内での学習がまさにコアとなっていく。学生同志の学びである。リーダー、サブリーダーが自然と育っていく。

藤崎先生は6つの離れ離れになっているグループを2回巡回する。フロアーも違えばいろいろな場所を学生は見つけるのでこの巡回は大変である。最初はどういう議論をしているのか、初歩的な疑問がないかなど対話する。そこで大きな方向性に間違いがないかを確認している。2回目は終了間際で、この時には殆どのグループの学生は自信ありげな「先生、面白い発表をやりますよ」という顔をしている。この2回の巡回は教師の足場かけとしてとても重要である。教師と学生が一体となる時でもある。

議論の時間が終わり、いよいよ各グループの発表である。発表形式は自由であるが、それぞれリアリティを持ったストーリーを作っている。その中で与えられたテーマへのチームの考え方を提示する。日本の学生も変わったなと思うのは真剣な発表の中に、必ずユーモアや笑いをいれるのである。これがまたやる気を促進するのだと思う。患者、救急救命士、救急センター(藤崎先生が担当)がそれぞれの役割の中で提起された問題へチームとしての提言をする。救急救命士とセンターとの対話が極めて重要な授業プロセスとなる。もうひとつ重要なことがここで行われている。これがオンリーワンの評価方法である。グループ発表に際して視聴している他のグループは採点をしているのである。教師が採点するのではなく学習者が採点する。(教師の採点も別にあるが)評価項目は、症例内容、全体の構成、発表技法、話し方、医療人(救急隊他)の対応、診断・評価理由、アドバイスなどから構成されている。

授業終了前に、小テストとグループ採点が行われる。小テストは個人の学びの結果であり、グループ採点は評価者として力量が問われるある意味でのテストでもある。LAについてであるが、グループ採点(1-5)では例えば1(=ルーブリックでは全く理解できていない評価)をつけるグループがいる。これは自グループを上位にしたいという意図的なものと考えられるので統計的にデータを取り、是正するのである。また各グループでテストの設問をつくるが、この回答率が6-70%のものを作ったものが評価の上位にいく。これも現実を想定した学習であり、救急救命士としての現場で判断が微妙に迷うエリアの設問を基礎的にしっかり身につけるという意図がある。

さて藤崎先生の「眠らない授業」「命の授業」の1期生が今年卒業して社会に飛び立った。大社連携(大学と社会のつながった学び)を提唱する同氏は藤崎教室の学習者が継続して社会で学び続けることを心より願っている。科学的根拠に基づく医学でもいろいろな視点での答えがあるといいます。大学では、「結論を導き出す方法論を学んでくれればよい。社会での継続した学びのために。」藤崎先生が最後に言われた言葉である。

(感想)
帝京大学医学部救急医学講座の医師として救急救命士コースを独自の感性で築いた。教育工学などは特に学んでいないのであるが、学生に寄り添い何とか一流の社会人になって欲しいという気持ちが、学生に伝わっているので学生が友達のように教師に話しかける。今学ばないでどうする、という熱い気持ちだけでなく、学びたくなるような環境をよく考えたと思う。主体的に学ばない学生をどう主体的にするか? という設問はよく話されるがその答えのひとつが藤崎流の授業であると思う。

 

主体的学び研究所
花岡隆一

学ぶことへの招待――社会へつながる学びとは(1)

鹿児島大学が今年度から新たに開講した全学必修の地域志向科目「大学と地域」のリーフレットがとても興味深い。
教科やコース、テーマの説明が記載されているが、スタイルが違う。
そのテーマは「問いかけ」から始まるのだ。

例えば、環境・島嶼(とうしょ)というテーマでは、
「環境問題という言葉はよく耳にしますが、その具体的な中身は何で、自分にどう関係していますか?」
「私たちは何が出来るでしょうか」
と問うている。

言い換えてみると、
「あなたはそのテーマとどんな関係ですか?」
「あなたは何をしようと考えますか?」
「自分の身に起こることだけではなく、それを地域課題として考えませんか?」
と、「学習者が考える」というスタイルだ。

そして、「大学と地域の関係」を学生が部外者で遠目でみつめるのではなく、
「自分自身と諸課題」「自分自身と社会との関係」を考える機会ですよ、
と問いかけによって学びへと招待しているのだ。
これは学習者中心のシラバスとも共通するポイントではないだろうか。

学習する内容も工夫されていて、COC活動での研究成果や地域課題解決への取組みに深くつながっている。
学校の枠から社会や生涯の学びへとつながる発問が、広く展開されている事例である。

「大学と地域」リーフレット
大学と地域パンフ

(つづく)
研究員 大村昌代