主体的学び研究所

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日本の大学に必要なCommunity Engagementとは何か?

国民の声は、現在の大学は社会が期待している人材養成が十分なされていないと言う。全く同じ現象が米国でもある。1995年にロバート•バーとジョン•タグが『教えることから学ぶことへの教育のパラダイムシフト』で書いた。(主体的学び研究所の『主体的学び』創刊号の特集論文「教育から学習への転換」参照)

ユタバレイ大学のアントン•トーマン博士がこれを整理して、さらに一歩進んだ取組みを紹介している。

旧来の講義形式の授業は、知識を伝えること及びそれを覚えることが授業で一番重要とされ、そのアウトカムの評価として選択テストをしていた。しかし、これが明らかな誤りであると多くの教育者により考えられるようになった。決定的なものは長年の脳科学研究の成果として、教えられるだけの知識は脳に残らない、自分で考えるプロセスがないものは知識にならない。さらに、自分の言葉に置き換える作業(パラフレイズ)をしないと自分の知識とならない。そもそも聴いている時は、脳は受身=拒否している。考えている時の脳は受け入れている、ということを証明した。

カナダのクィーンズ大学のスー•ヤング博士は、これをICEモデルという授業方法や評価方法として確立した。(I=Ideas=知識の習得、C=Connections=自分の知識への止揚、パラフレイズ、E=Extensions=学びの社会での活用)(『主体的学び』創刊号「ICEルーブリック」(土持ゲーリー法一博士)「ICE出版記念講演会レポート」参照)

さて、ユタバレイ大学での取組みであるが、米国社会が期待する基本的な人材(=コミュニケーション、チームワーク、批判的精神、倫理感や問題解決能力)養成を目標にしつつ、急激に変化する社会のスピード(例えば、スマホは7年前には存在しなかった)に対応した教育の在り方を考えて試行錯誤している。全ての視点を学生中心(Student Engagement)に考えるのであるが、さらに言うと大学が学問の府として独立するのでなく、社会の一員として社会のスピードに合った教育内容でなければならないと考える。それがCommunity Engagementと言うものである。今後Community Engagement over Student Engagementを重視した主体的な学びが日本の大学でも増えていくことを期待したい。

 

研究員 花岡隆一

 

デューイから学ぶ「Student Engagement」

シカゴ大学付属小学校の実験室学校 Laboratory Schoolから改めてStudent Engagement(学生中心の学び)を考えたい。すべての授業が「聴講」という基礎にたっていては、子どもの多様な能力や関心を活かせるようにはならない。子どもたちの態度を受身にしてしまい、記憶にだけたよってしまう教育になる。これは重力の中心が子どもたち(学習者)以外にあるということに他ならない。かくして子どもたちの関心、感官以外のところで学びのしくみを作っても機能しないことになる。(デューイ)

コペルニクス的変革が必要である。それは子どもが太陽になり、その周囲を教育の諸々のいとなみが回転すること。つまり、子ども(学生)が中心であり、学校(大学)の全ての視点をこの中心を軸として考えるということである。(デューイ)

昨今、反転授業の導入が学生の成長を裏付けるという調査結果もあり、主体的学びを促進する反転授業やブレンド型教育が盛んに議論されている。これも学生中心の学びの方法のひとつであり、学生一人ひとりの自学自修の結果の疑問や興味を教室で仲間やファシリテータと共に試行錯誤することである。勿論、学びのプロセス全体を振り返る省察(リフレクション)はその核となるのである。

 

研究員 花岡隆一

 

 

再び「エミール」より ーひとが能動的であることについてー

人はみな能動的な力があたえられている。「知覚することは、感じること。比較するとは、判断すること。」まさにICEアプローチである。「より大きい」とか「より小さい」とかいう比較の観念は感覚ではなく、判断の範疇であり、判断するということが既に能動的な活動をしている。それは感覚の真実に自分の誤謬をもちこんでいるから。しかしもし人が純粋に受動的であるとするなら感じるということの群の間での交流はなくなり、さわっている物体と見ている物体が同じものであることを知ることができない。この人が自然にもっている能動的な精神を省察(リフレクション)、注意、反省と呼ぶ。さらには運動はすべて、自発的、意志的な行為によらなければ起こりえない。ひとは能動的で自由であれば、自分から行動するようになる。すべての悪い行為の原因は自分にある。他人の所為にしてはいけない。自分の利害だけを考え、他人への愛を感じなくなっていく、あたたかな友情や人間愛が薄れていく、常に他人との競争を考え、他人と比較して誇ったり卑下したり妬んだりするようになる、意地悪をするような行為はすべて受動的なのである。

知識が記憶のなかにあるだけのひとと知識が判断力のうちにあるひとの違いを考えたい。

 

研究員 花岡隆一

 

細川昌夫先生(中部大学)の進める「内なる国際化」

細川昌夫教授は「グレーターナゴヤ」の提唱者ですが、現在もメガリージョンについてのプロモーションをしている。世界のメガリージョンに照らして「内なる国際化」の遅れが日本の課題であると言います。国はイノベーション力、グローバル力、コミュニケーション力が大学における人材育成で強調されますが、米国のジーンタウン、リサーチトライアングル、カナダのグレータートロント、欧州のオウルモデル、エレスンド、ランドスタットなどでは地域産業と大学が「内なる国際化」=人材、産業の門戸開放を徹底して推進している。取り分け、地(知)の拠点である大学の役割は大きく、海外留学生にとってもっと魅力ある教育内容を示さなければならない。例えば、特長ある地域社会に密着したアクティブ•ラーニングを実施して、海外留学生にとって第二の故郷になるような仕組みも考えて欲しいと。日本人は特にコネクション(C)が弱いので、ICEアプローチについても大学や社会で取り込んでいく価値のあるものと賛同を得た。

 

研究員 花岡隆一

佐々木秀美先生(広島文化学園大学 副学長 教育学博士)のナイチンゲール論

佐々木秀美先生がナイチンゲールについて語るときはとても熱い。クリミアの天使だけではなく生涯教育者であったことを忘れてはいけない。広島文化学園大学の理念は「究理実践」「対話の教育」「学習者中心の教育」により「人間力」「専門力」「「就職力」を培い、真に社会に貢献できる人材の育成を図っていくこととしている。佐々木先生は、ナイチンゲールが説いた「理論と実践の一致」が、今まさに「アクティブ•ラーニング」と呼んでいるそのものであると言われる。ナイチンゲールが最初にやったことは陸軍改革、背景には国家の在り方への思いがあったとのこと。その考え方は今日の医療問題で大きなテーマである在宅医療にも繋がっていく。増大する在宅医療では緩和ケアーなど家族への負担の重みと国の医療への在り方に先生は提言をされている。

 

研究員 花岡隆一

主体的学びとconviviality

帝京大学高等教育開発センター(CTL)が主催するFDシンポジウム(Student Engagement)は、SCOT(Student Consulting on Teaching)プログラムの発表とパネル討議であった。ユタ州のユタバレー大学(UVU)、ブリガムヤング大学(BYU)のSCOTを招聘して、帝京大学のSCOTを含めた3大学の交流でもある。SCOTは米国だけでなく欧州の大学でも始まっているが、ユタ州2大学のSCOTは秀逸であるようだ。オナーズプログラムやリーダーシップ学生などから選択された学生がCTLの中で活動をしている。教師からの評価はとても高く、学生の視線での教師へのアドバイスは、より洗練された教師程必要としていることが分かった。SCOT自身の成長も大きく、帝京大学のSCOTメンバーの調査では、責任感•誠意/傾聴力/精密さが自覚されるようになったという。最後にパネラーのSCOT学生が何故SCOTを続けているかという理由として、conviviality(浮き浮きする気持ち)であるという話があった。楽しいことは積極的になれる。その結果自分の成長が確かめられる。成長とは責任を自覚することでもある。その原点は楽しいこと、というのが印象的である。

 

研究員 花岡隆一

 

岡隆光先生(広島文化学園学長 物理学者)との対談

岡隆光先生は物理学者です。33歳の時に、米国のロスアラモス研究所にポスドクで赴任しました。酒豪でとても優しい方です。現在は広島文化学園の学長として高等教育経営に専念されています。岡先生の主体的学びに関する考えをお聞きしました。先生の科学の授業で質量保存の法則を学ぶとき、飯を食うと熱が出るのは何故。C+O2=CO2 こうした根本的なことをまず理解することからアインシュタインの相対性原理へ繋げて批判的な思考を学ぶと。学生には社説を読む習慣をつけて常に批判的に物を見ることをすすめる。大学では試験に役に立たないものを学ぶのが大切であり、長い人生を生き抜くには試験で役に立つ知識は社会では殆ど役に立たないと思います。「前説を覆しなさい」そして定義を覚えるとプロセスを思考する脳を退化させる。どんな大学を出たかではなく、どんな成長をしてきたかという普通の議論ができるようにしたいですねと言われます。

広島文化学園では、「学習者中心の学び」を古くから実施しています。「Knowing in action/ Knowing in doing/ Learning to Learning」私たちはアクティブ•ラーニングはずっと前からやっていて当たり前と思っていますと。「究理」「実践」「対話」「学習者中心の学び」これが大学の基本的な軸になっています。とても素晴らしいと思いました。

 

研究員 花岡隆一

本田圭佑の「自問自答」と学びのリフレクション(省察)

今日のサッカー国際試合で日本はニュージーランドに4:2で勝利した。本田圭佑が試合後のインタビューで「もっと厳しくなければいけない」といつもの口調で話す。さすがは本田だと思う。東京学芸大学の森本先生から聞いた話ですが、本田圭佑の試合後のインタビューがまさに学びのリフレクションであると。リフレクションは感情や感官での思いではなく、「学びのプロセス」を省察してはじめて意味がでてくると森本先生はポートフォリオの記述についてもご説明されます。つまり深い学びに繋がるリフレクションであるか。日本で超一流のプロゴルファーの青木功は一度プレイをしたゴルフ場はすべてのホールを覚えているという話を聞いた。長嶋茂雄は天性の感を持っているというが実は投手の球種を覚えているという話も聞く。本田は90分の試合を、主体的に動くからこそ、そのプロセスを記憶できていて全体を振り返っているのかもしれないと思った!

さてこの話を広島文化学園大学の佐々木秀美先生(副学長、教育学博士、看護学)に話したところ、自分へのリフレクションとは別に他人評価のリフレクションもある。自分には厳しくできるが他人やチームを省察する時にどうであるか、と言われて新たな気づきを頂いた。佐々木先生は、今まさに「学習者中心」の学びの環境つくりに挑戦されている。佐々木先生の挑戦についてはまた別にご紹介したいと思います。

 

研究員 花岡隆一

 

学生による授業コンサルティング(Students Consulting on Teaching;SCOT)プログラム

SCOT(Students Consulting on Teaching)は学生による授業コンサルティングです。学生が主体的に参加してFDを支援する仕組みであり、日本では帝京大学が力をいれているが、この程米国ユタ州のユタバレー大学とブリガムヤング大学の学生も招いて学生参加によるFDの在り方についてシンポジウムを開催する。

シンポジウムの主催者でもある研究所顧問の土持ゲーリー法一先生からメッセージを頂いた。ユタバレー大学アントン・トールマン教授が基調講演をしますが、研究所が紹介している「ICEモデル」につながる話が盛り込まれているとのことです。さらには、ジョン・タグ博士の「パラダイム転換」が重要な要素として紹介されています。是非ご参加ください。

日 時:平成26年3月11日(火) 11:00~16:00
場 所:帝京大学霞ヶ関キャンパス http://www.teikyo-u.ac.jp/access/kasumigaseki.html
   11:00~12:00 基調講演(逐次通訳)
 「日米FDセンターによるStudent Engagement(学生による能動的学修)をキーワードとした組織的FD推進の意義と展開可能性」  Anton Tolman氏(ユタバレー大学・教授)
13:00~16:00■シンポジウム・パネルディスカッション(逐次通訳)
 「日米における学生による授業コンサルティングプログラム(SCOT)導入の現状と今後の展開について語る」
  • 合田哲雄氏(文部科学省学術研究助成課長)
  • Anton Tolman氏 (ユタバレー大学・教授)
  • Dustin Tolman (ユタバレー大学・SCOT)
  • Kasey Nelson (ブリガムヤング大学・SCOT)
  • McKinney Voss (ブリガムヤング大学・SCOT)
  • 長沼陽子 (帝京大学・SCOTコーディネータ)
  • 石井早織 (帝京大学・SCOT副コーディネータ)

 

研究員 花岡隆一

船守美穂先生の講演からーデジタル化時代の学びの社会性を考えるー

今、「アクティブ•ラーニングを促進するICTの利活用に関する勉強会」を続けている。今回は、東大の船守先生が、「主体的学びと学びの社会性」という切り口で、cMOOCからMOOCそしてオンライン教育の次の展開、コンピテンシー•ベースド教育とパーソナライズド/アダプティブ教育の流れについて米国の動向と日本の向かうべき課題について講演して頂いた。

米国でMOOCが騒がれていたのが2012年、2年遅れて日本にやってきたが本家では既に沈静化している。元々xMOOCは、元祖MOOCのcMOOC(Connectivist MOOC「デジタル時代の学習理論」)とは全く考え方が別のものであった、というようなことは恥ずかしくも知りませんでした。xMOOCが期待を裏切ったとは言え、何でもやってみようの米国ですからオンライン教育に新たな投げかけをもたらしたことは事実です。そこでMOOC3.0の時代に入ってきたというご指摘です。そもそもオンラインだけで教育ができる訳はありません。デジタル化は受け入れつつも、人と人が繋がる教育にICTの活用される方法はしっかり考えていかなければICTを使える教育設計をしているというような本末転倒になってしまいます。

船守先生のもうひとつの示唆は、日本の高等教育はいつも「遅れてきた青年」でよいのかという視点かと思いました。大学教育までがMOOCや反転授業というトレンドで右往左往しているのは止めましょうと。米国と日本のバックグランドも違いますし。その中身を見て行くと従来から試行錯誤している授業内容やコース設計を組み合わせて特徴づけているのであり、全く新規なものではないという冷静な考えが必要である。日本がJ-MOOCをやるのは否定はしないが、別の考え方もあるのではないかと思いました。東大でMOOCをやった藤原帰一先生も学生に気づかせるのはオンラインではなく教師であると言われているそうです。

船守先生のメッセージは、W.E.B.Du Boisの「教育の役割は、人を医師、弁護士、技師にすることではない。教育の役割は、医師、弁護士、技師を人にすることである。」

 

研究員 花岡隆一