主体的学び研究所

48 『アンという名の少女』に描かれるリベラルアーツ的な考え
―想像力・洞察力、好奇心、豊富な表現力―

主体的学び研究所 顧問
土持ゲーリー法一

はじめに

 なぜ、「赤毛のアン」を本コラムで取り上げるのか。これまで「赤毛のアン」は、筆者(土持、以降同)の記憶の片隅に置かれていた。ところが、2023年6月に学会がカナダのプリンス・エドワード島のシャーロットタウンで開催されたことで、「赤毛のアン」が身近な存在になった。学会の終了後、地元ホーランド・カレッジの Mary Lou Griffin-Jenkins さんと Jolene Chan さんの案内で「赤毛のアン」の原著者モンゴメリの生家や Green Gables を訪問して、原著者がどのような気持ちで「赤毛のアン」の作品を執筆したのかを直に感じることができてコラムにまとめたいとの衝動に駆られた。
 帰国後も「赤毛のアン」のことが脳裏から離れず、アマゾンプライムの『赤毛のアン』(2015年)の映画を見た。しかし、映画では時間的制約もあり、淡白にしか描かれておらず、原著者の真意が伝わらないと思っていたら、アメリカにいる孫娘が「 Anne with an “E” 」というドラマがあることを教えてくれた。ネットで調べたら、Netflix で『アンという名の少女』という邦題で放映していることがわかった。
 なぜ、タイトルに「リベラルアーツ的な考え」を入れたかといえば、赤毛のアンの貪欲な好奇心、想像力、洞察力、豊富な表現力は、リベラルアーツ教育に欠かせない資質であり、それが幼少のころに芽生えたものであることを強調したかったからである。
 原著者ルーシー・モード・モンゴメリ( Lucy Maud Montgomery 1874年11月30日~1942年4月24日)はカナダの小説家で、彼女の代表作が『赤毛のアン』( Anne of Green Gables 1908年)である。彼女の小説を読み、映画を見れば明らかなように、彼女の文学的な表現は長くて複雑で、それを的確に翻訳することは難しいとされている。日本でも NHK 連続テレビ小説『花子とアン』(2014年3月31日から放映)が茶の間の話題になったことがある。これは「赤毛のアン」の物語についてのものではなく、翻訳者・村岡花子の明治・大正・昭和にわたる波乱万丈の半生記を描いたものである。山梨の貧しい家に生まれ、東京の女学校で英語を学び、故郷での教師生活を経て翻訳家の道へ進んだヒロイン・花子が、震災や戦争を乗りこえ、子どもたちに夢と希望を送り届けるというストーリーである。

「世界一美しい島」~カナダのプリンス・エドワード島

 なぜ、このような呼び名が付けられたのか。それは、ノヴァスコシア州の孤児院で育った赤毛の11歳の少女アンが、プリンス・エドワード島の老兄妹マシューとマリラの元に引き取られ、初めてこの島を訪れた時の感動を小説の中で、「プリンスエドワード島は世界じゅうでいちばんきれいなところだって、いつも聞いていましたから自分がそこに住んでいるところをよく想像していましたが、まさかほんとうにそうなるなんて夢にも思わなかったわ」―村岡花子訳― と表現していたからである。
( https://www.crtours.co.jp/yyg/anne.html )
 カナダの東端、セントローレンス湾の「波間に浮かぶゆりかご」とも称されるこの島は、面積は四国の約3分の1、愛媛県とほぼ同じ大きさで、人口はその10分の1の15万人程度である。緯度は北海道の稚内とほぼ同じ位置にある。ジャガイモが豊富で道路際の畑一面がジャガイモ畑である。しかも、ここのジャガイモは美味しい。その理由を尋ねたところ、赤土で肥沃な土地だからだと案内してくれた Jolene Chan さんが教えてくれた。雨にぬれたジャガイモ畑は赤く輝いていた。緯度が北海道の稚内と同じなので冬場は寒く雪に覆われ、ドラマに出てくる銀世界がイメージできる。そのような厳しい環境で「赤毛のアン」は育った。
 ダウンタウンのシャーロットタウンからグリーン・ゲイブルズ( Green Gables )まで車で1時間程度である。


https://www.canadiannetwork.co.jp/ca-pei/

 余談になるが、ドラマ『アンという名の少女』(エピソード9)「かつてのわれらは今のわれら」の中で、新任女性教師(ミュリエル・ステイシー)が赴任先の母親の会との初会合に、部屋の壁に「ジャガイモ版画」でプリントしていて遅刻する場面からエピソードははじまる。この学校は、いまで言う「チャータースクール」のようなもので、保護者が教師を採用する。遅刻したステイシー先生は、「ジャガイモはいろいろ活用できるんです」と言い訳をするが、母親の会は、彼女が何を言っているのか「雲を掴む」有様で唖然とする。その後、マリラも一緒に授業見学をする。「世界は科学で変わります」「電気とは何か」などを問う。ローソクの時代に電気の話をしてもチンプンカンプンの顔をしている生徒や母親の会に、「稲妻」に喩えて説明している。そして、「ジャガイモに釘を刺し」て実験をはじめる。それを見ていた生徒たちは驚きの眼差しで歓喜をあげ、近くいた母親の会の婦人たちも驚きを隠せなかった。この土地はジャガイモが豊富だということを暗示しているようであった。
 ほかにも見逃せない授業スタイルがある。すなわち、机や椅子を寄せて、教室に車座になる授業や、ジャガイモを使って電気を起こす科学実験など、ステイシー先生が座学ではなく、今でいうアクティブラーニング的な授業を行うなどの斬新さがそうである。筆者は、これを見て映画『モナリザスマイル』を彷彿した。


写真:『アンという名の少女』(Netflix画像)より撮影



写真:案内してくれた、Mary Lou Griffin-Jenkins さん(左)、Jolene Chan さん(中央)と一緒に。筆者(右)。


モンゴメリの生家と郵便局

 モンゴメリは1874年11月30日、プリンス・エドワード島北部の片田舎ニューロンドンでこの世に生を受けた。現在の生家は博物館として公開されている。


写真:モンゴメリの生家の前で


 モンゴメリが眠る墓地の近くに、キャベンディッシュの郵便局がある。


写真:モンゴメリが働いていた郵便局の前で


 この郵便局は、若きモンゴメリが仕事をしていた所である。彼女は、この郵便局から「赤毛のアン」の原稿を出版社に送り続けた。採用されることなく何度も送り返された原稿を、また、他の出版社に送るというものであった。誰にも知られることなく、そのことを繰り返していたモンゴメリは、次のように回想している。
 「原稿が採用されなかったことを誰にも知られずにすんだからこそ、諦めずに原稿を出版社に送り続けることができたのだと。もし、誰かに知られていたら、とうに諦めていただろうと」。( https://ameblo.jp/danshariblog/entry-12066579572.html )



Green Gables Heritage Place

 この場所から Anne of Green Gables の敷地に入る。写真の右端に見えるのが馬車で、これにアンが乗ったかと思えば、ドキドキである。Anne of Green Gables と呼ばれているように、観光の目玉は、Anne と Green Gables である。以前は、以下のようなナンバープレートが使われていた。たまたま、シャーロットタウンの学会会場のデルタホテル・ギフトショップで見つけた「骨董品」である。店員に展示品かと尋ねたら、売り物だというので慌てて購入した。


写真:納屋から見た Green Gables の遠景


写真:Anne の絵柄がついたナンバープレート(デルタホテル・ギフトショップ)

 ここは、小説の舞台を築く着想の源となった所である。実際には、モンゴメリ自身は、近くの祖父母の家で育ち、生涯一度も Green Gables に住んだことはなかったが、周りの森や林を散策しながら、この農場を身近に親しみ、強い愛情を抱くようになった。以下の Green Gables の全体像とアンの部屋(右下)を紹介する。


出典:Prince Edward Island National Park Visitor Guide 2023

 アンの部屋が見られると思うと、ドキドキして鼓動が聞こえそうである。モンゴメリがどのような気持ちで執筆したかが想像できた。建物内には、Green Gables の見取り図と主要展示物が紹介されている。主人公のアンの部屋は、2階にある。マシューの部屋が1階で、マリラの部屋がアンと同じ2階にある。
 窓の外は広大な敷地、6月という時期もあって花々も咲いて、広々とした芝生が丘につながっている。シートを広げてピクニックでもしたい雰囲気である。この光景を見ずして、Green Gables の真意は伝わらないかも知れない。


写真:Green Gables Heritage Place Visitor Centre で

 『赤毛のアン』(原題: Anne of Green Gables )は、1908年に発表した長編小説である。特に児童を対象に書かれた作品ではなかったが、児童文学ともみなされている。原題の Green Gables とは、アンが住むことになるカスバート家の屋号であり、直訳すると「緑の切妻屋根」という意味になる。モンゴメリは、新聞記事で読んだ「男の子と間違えて女の子を引き取った夫婦の話」にヒントを得て、この作品を書いたと言われる。彼女はプリンス・エドワード島の田舎で育った自身の少女時代を作品に投影させて描いた。なぜなら、モンゴメリ自身、早くに両親と離れて祖父母に育てられたため、アン同様、孤独で理解されない子どもとして育った経験を持っていたからである。アンの住んだ家のモデルとなった Green Gables 近辺は国立公園になっている。


写真:Green Gables 前のベスト撮影スポットで

 孤児院で暮らしたアン・シャーリーが、11歳でアヴォンリーのカスバート家に引き取られてからクィーン学院を卒業するまでの少女時代5年間を描いた『赤毛のアン』は人気作となり、モンゴメリはアンを主人公とする続編や周辺人物にまつわる作品を多数著している。
 前述のように、『赤毛のアン』の原稿を複数の出版社に持ち込んだが、すべての出版社で出版を断られたので自宅の屋根裏部屋に「お蔵入り」していた時期が数年ある。年月を経てモンゴメリが作品を読み返し、面白いのでやはり出版すべきであると思い直し、出版社に再度交渉すると、今度はトントン拍子に進展したという。(出典:Wikipedia )



ドラマ『アンという名の少女』

 英語の原題は「 Anne with an “E” 」で、直訳すると「Eがつくアン」である。これは英語のスペルのことを言っている。アンという名前は、「 Ann 」や「 Anne 」と書く。主人公のアンは、文学好きで空想が大好きな女の子で、同じアンでもスペルが「Ann」だとちょっと平凡なので、最後に「E がついた Anne 」のほうがおしゃれだと思っている。たしかに、欧米でも女王などの王族や貴族などは、「 E がつくアン」が多い。



https://www.netflix.com/title/80136311


 筆者は、これは「赤毛のアン」のことを象徴しているのではないかと考えている。なぜなら、アンに “E” をつけることで、モンゴメリが「赤毛のアン」に特別な才能があることを伝えたかったのではないかと考えているからである。
 澄んだ空気、匂い立つ花々、輝く湖、自然に囲まれたカナダ・プリンス・エドワード島の小村・アヴォンリーが舞台である。
(https://www.club-t.com/sp/special/abroad/canada-pei/about/?waad=02Bs5st2&click_product=yahoo_common&utm_source=
yahoo&utm_medium=cpc&utm_campaign=00_DAS-
zenryokoubuDA_kaigaihaikasubete_yahoo_cpc_ds&utm_term=)
 緑の屋根が目印の Green Gables に住むマシューとマリラ兄妹のもとへ、赤い髪の毛とそばかすだらけの顔をした小さな女の子がやってきたところからドラマがはじまる。
 マシューとマリラという老兄妹に引き取られた、好奇心旺盛で想像力豊かな少女アン・シャーリーが、プリンス・エドワード島で生涯の友と出会い、楽しい事件を次々と起こしていく中で素敵な女性に成長していく様が描かれた作品である。
 ドラマ『赤毛のアン』に登場する3人の人物を紹介する。
  アン・シャーリー( Anne Shirley )
   Green Gables の老兄妹に引き取られることになった空想好きでおしゃべりで、
   赤い髪をした痩せた11歳の女の子である。生まれて3ヶ月で両親を亡くし、
   その後、知り合いの家を転々とたらい回しにされ、孤児院にいたところを、
   マリラとマシューに引き取られ、Green Gables へやってくることになった。
  マシュー・カスバート( Matthew Cuthbert )
   Green Gables に妹のマリラと二人で住む60歳の老兄。人前に出るのが大嫌い
   で特に妹であるマリラ以外の女性とは満足に会話することもできず結婚もしな
   かったが、アンと出会ったその日からアンの魅力に引き込まれ、アンの育ての
   親となっていく。
  マリラ・カスバート( Marilla Cuthbert )
   Green Gables に兄のマシューと二人で住む老妹。少々口うるさくて堅苦しい
   ところがあり、結婚もせずに兄と一緒に暮らしている。最初はアンのことを
   躾のできていないおしゃべりな女の子としか考えていなかったが、次第にそ
   の魅力に引き込まれていく。



L・M・モンゴメリの名言15選に描かれるリベラルアーツ的な考え

1)「一生懸命やって勝つことの次にいいことは一生懸命やって負けること。」
   (出典:L・M・モンゴメリ 以降同)
 (拙註:勝つとか負けるとかではない。果敢に挑戦することに意義がある。ディベート
  の精神もまたリベラルアーツと重なるところがある)
2)「人生には生きる価値があるわ、そこに笑いがある限り。」
 (拙註:ジョークはリベラルアーツに欠かせない資質となる。それは機敏さから生まれ
 る)
3)「決めたということは行動するということ。」
 (拙註:即実践のアクティブラーニングの本質である)
4)「自分の失敗を笑いそしてそこより学べ。自分の苦労を笑い草にしつつそれから
  勇気をかきあつめよ。」

 (拙註:失敗を糧に、不屈不撓ふくつふとうの精神こそリベラルアーツの本質である)
5)「私の未来はまっすぐな一本道のように目の前に伸びていたの。人生の節目節目
  となるような出来事も道に沿って一里塚のように見渡せたわ。でも、今曲がり角に
  来たのよ。曲がった向こうに何があるか分からないけどきっと素晴らしい世界があ
  るって信じているわ。」

 (拙註:未知の世界に果敢にチャレンジする勇気を抱かせるのもリベラルアーツ精神に
  裏打ちされたものである。詳細は、後述「『赤毛のアン』の最後の章(第38章)『道
  の曲がり角』」を参照)
6)「夜が明けると朝がいちばんすてきだと思うんだけど日が暮れると夕方のほうが
  きれいに思えるの。」

 (拙註:人間の感情を謳ったものである。リベラルアーツは感情の固まりである)
7)「まだまだ発見することがたくさんあるってすてきだと思わない? もし、何も
  かも知っている事ばかりだったら面白さが半分になっちゃうわ。」

 (拙註:好奇心には無限の可能性が潜んでいる。知ることの喜びもリベラルアーツ
  の本質といえる)
8)「なんて素晴らしい日でしょう。こんな日に生きているというだけでしあわせ
  じゃないこと?」

 (拙註:生きることの喜びを実感できるのもリベラルアーツの世界に生きている証
  である)
9)「人生は広くもなれば狭くもなる。それは、人生から何を得るかではなく人生
  に何をそそぎ込むかにかかっている。」

 (拙註:リベラルアーツの人間観を謳ったもので、人生を受身としてではなく、ポジ
  ティブに捉えている)
10)「こんなに面白い世の中に生きているのにいつまでも悲しんでなんかいられな
  いわ。」

 (拙註:ポジティブな考えはリベラルアーツの代名詞である)
11)「犠牲をはらう相手があるのはうれしいことだ。」
 (拙註:奉仕の精神である。他者と分かち合える喜びを知るのもリベラルアーツの
  影響である)
12)「どうせ空想するなら思いきり素晴らしい想像にした方がいいでしょう?」
 (拙註:空想よりも想像することが重要であるとする、リベラルアーツの本質を
  謳っている)
13)「何かを待つってその楽しさの半分にあたるわ。」
 (拙註:チャレンジ精神はリベラルアーツに欠かせない)
14)「足し算や引き算じゃあるまいし血と肉でできてる人間は算術のようにゃい
  かないものさ。」

 (拙註:これは1908年の小説に描かれた表現である。最近の ChatGPT に聞かせてあ
  げたい名言である。「人間最高」である)
15)「この世の中にこんなに好きなものがたくさんあるってすてきじゃない?」
 (拙註:飽くなき好奇心の固まりを感じるのもリベラルアーツの恩恵である)

出典:1)~15)は、すべてL・M・モンゴメリの名言からのものである。
https://live-the-way.com/great-man/history/lucy-maud-montgomery/
なお、拙註は筆者のコメントである。


『赤毛のアン』の最終章(第38章)「道の曲がり角」

 これはドラマ『アンという名の少女』にはない部分である。『赤毛のアン』L・M・モンゴメリ著、松本侑子訳(文春文庫、2019年)から内容を抜粋して引用する。原文(https://www.ne.jp/asahi/yasunao/picard/novel/anne/chapter38/38_14.html)を添えたのは、その意味の深さを知ってもらいたかったからである。舞台は、アンはマシューが亡くなり独りになるマリラを気づかい、せっかく獲得したレドモンド大学の奨学金を諦めて Green Gables に留まることを決意した場面からはじまる。

 「『グリーン・ゲイブルズを売ってはいけないわ』アンは心を決めたように言った。」(“You mustn’t sell Green Gables,” said Anne resolutely.

 「私だって、売らずにすめばと思うよ。でも、アン、あんたにも分かるだろう。この農場に一人では暮らしていけないんだよ。大変だし、寂しいし、気がふれてしまうよ。目も悪くなるだろうしね、そうに決まっているよ」(“Oh, Anne, I wish I didn’t have to. But you can see for yourself. I can’t stay here alone. I’d go crazy with trouble and loneliness. And my sight would go–I know it would.”)」

 「ここに一人で住まなくてもいいのよ。私も一緒(いっしょ)に住むわ。レッドモンドへは行かないことにしたの」(“You won’t have to stay here alone, Marilla. I’ll be with you. I’m not going to Redmond.”

 「今だって将来の夢はあるわ。ただ、その目標が変わったのよ。」(“I’m just as ambitious as ever. Only, I’ve changed the object of my ambitions.

 「やりたい計画が山ほどあるの。」(I’ve dozens of plans, Marilla.

 「生きることに最善を尽くすわ。そうすれば、いつかきっと、最大の収穫が自分に返ってくると思うの。」(I shall give life here my best, and I believe it will give its best to me in return.

 「クィーン学院を出た時は、私の未来は、まっすぐな一本道のように目の前にのびていたの。人生の節目節目となるような出来事も、道に沿って一里塚のように見わたせたわ。でも、今、その道は、曲がり角に来たのよ。曲がったむこうに、何があるか分からないけど、きっとすばらしい世界があるって信じているわ。それにマリラ、曲がり角というのも、心が惹(ひ)かれるわ。曲がった先に、道はどう続いていくのかしらって思うもの。緑に輝くきれいな森をぬけて、柔らかな木漏(こも)れ日がちらちらしているかもしれない。初めて見る新しい風景が広がっているかもしれない、見たこともないような美しいものに出逢うかもしれない、そして道は曲がりながらどこまでも続き、丘や谷が続いているかもしれない。」(When I left Queen’s my future seemed to stretch out before me like a straight road. I thought I could see along it for many a milestone. Now there is a bend in it. I don’t know what lies around the bend, but I’m going to believe that the best does. It has a fascination of its own, that bend, Marilla. I wonder how the road beyond it goes–what there is of green glory and soft, checkered light and shadows–what new landscapes–what new beauties–what curves and hills and valleys further on.”

 『赤毛のアン』の最終章では、「リベラルアーツとは何か」をモンゴメリが見事に表現している。「道の曲がり角」を英文でどのように表現しているか調べてみた。「 The Bend in the Road 」である。なんと素晴らしい文学的表現なのだろうか。日本語訳の「道の曲がり角」も最終章に最適な表現である。筆者は、「ターニングポイント」を示唆しているのではないかと考えていた。なぜなら、人は、人生の節目節目で岐路に立たされ、どのような決断を下すべきか瞬時の判断が求められるからである。そのときの決断を「後悔」するのではなく、「責任」を持つこともリベラルアーツだと考えていたからである。しかし、彼女は、文学的な表現「 The Bend in the Road 」で締めくくった。まさしく、「人生の曲がり角」である。人生は、「一直線」にはいかないことが、この一文に凝縮されている。


おわりに

 「はじめに」ところでも述べたが、ドラマ『アンという名の少女』を見ていると、彼女の言動のすべてがリベラルアーツの考えにつながる。リベラルアーツというと、ここ数年は社会人に注目されているようだが、「ローマは一日にして成らず」の諺ではないが、それは長い年月を経て培われるものではないだろうか。少女アンの言動を通して、リベラルアーツの原点のようなものが描けないかと考えた。ネットで調べたら、「『赤毛のアン』の名言15選」が見つかった。驚くことに、すべてがリベラルアーツの考えにつながっているのである。
 最後に、『アンという名の少女』エピソード10「この世界に増大する善」(シリーズ2最終回)を紹介して締めくくる。前述したステイシー先生が「授業に問題がある上、指導力不足」との理由で解雇される危機に陥り、教え子たちが救済のために立ち上がる場面である。ステイシー先生の解雇について議決する場に彼女が突如表れ、自らの教育方針について説得する姿は感動的であった。ドラマの中からそのフレーズを抜粋する。
 「教育において何を最も重視されますか?」「一番気になるのは子供の成長ではないですか?」「変化は怖いものです、未来は見えませんから」「しかし、時代は猛スピードで進みます」「私の指導法は特異ですが・・・体験学習は暗記よりも効果的と証明されています」「押し付けるのではなく考える力を伸ばすのです」「夢は世界を変えます」「私は子供たちの好奇心と考える力を育てたい」。ステイシー先生の最後の挨拶が終わると、子供たちが授業の実験で教わった「ジャガイモ」に電球を灯して教室に入ってくる。アンが代表して「これがステイシー先生の授業の効果です」「仕組みを教えるのでなく・・・好奇心が発明の源だと教えてくれました」。彼女のことばにすべての親たちが感動し、ステイシー先生の解雇は取りやめになった。
 なんと素晴らしいドラマだろうか。ステイシー先生の教えが子供たちを変え、今度は、子供たちが親たちの態度を変えたのである。これこそ、生きた教育といえるのではないだろうか。