主体的学び研究所

47 ChatGPT 時代は「嘘を見抜く」批判的思考力を育む
リベラルアーツ教育が不可欠

主体的学び研究所 顧問
土持ゲーリー法一

はじめに

 ここ数年、目まぐるしく世界が変化している。その発端は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が2019年12月初旬に中国・武漢市で第1例目の感染者が報告されたところまで遡る。わずか数カ月の間にパンデミックと言われる世界的な流行となった。その結果、それまでのノーマルな社会がそうでなくなった。教育「神話」も崩れはじめた。教員と学生の関係、授業のあり方、成績評価などを見直さざるを得なくなった。これまで先進諸国をモデルに追従してきた日本は目標を見失い路頭に迷った。
 そのような混沌としたなか、今度はデジタル化の新たな波が社会変革(デジタルトランスフォーメーション、DX )として迫ってきた。大学が社会に対して説明責任を果たせないことから、企業が DX を牽引し、文科省は「後手」に回った。まだ DX が十分に社会に還元できないところに、今度は、ChatGPT が追い打ちをかけた。
 約5年足らずの間に、世界は猛スピードで変化した。この世界の趨勢や社会変革は避けて通れないが、日本人には「感化」されやすい国民性がある。これを「洗脳」と置き換えることもできる。これは、島国の単一農耕民族というだけでは説明がつかない。さらに、学校教育がそれに拍車をかけている。たとえば、北は北海道から南は沖縄まで、すべての学校で「学習指導要領」にもとづいて授業が画一的に実践され、教科書までも検定教科書で指定されている。子どもたちが学校で「感化」や「洗脳」されないという理由はどこにも見当たらない。
 本コラム47では、ケント・ギルバート氏の著書『まだ GHQ の洗脳に縛られている日本人』(PHP文庫、2017年、第1版第2刷)のタイトルの「洗脳」に触発された。ギルバート氏は、ユタ州ブリガムヤング大学(BYU)在学中にモルモン教宣教師として来日し、その後、同大学院で法学博士号を取得して国際的に活躍している弁護士で、流暢な日本語を話すことでもよく知られる。BYUは、アメリカを代表する宗教系の私立大学であり、リベラルアーツ教育を提供していることで知られる。とくに同大学のオナーズプログラムには長い歴史があり、数々の著名人を輩出している。筆者(土持。以降、同)も何度か訪問して、オナーズプログラムについて取材をしたことがある。
 著者(ギルバート氏。以降、同)の「洗脳」とは、英語の Brainwash のことではないかと推測する。しかし、後述のように、「洗脳」には Indoctrinate という英語を用いることもある。したがって、「洗脳」は見方によって違った意味合いがある。
 筆者は、日本にリベラルアーツ教育が欠落していたから、GHQ に洗脳されたとの仮説を持っている。戦後日本の大学が専門教育に偏り、リベラルアーツ教育を蔑ろにした後遺症がここに残存している。日本人には、GHQ の洗脳に縛られた以外にも要因があった。

戦時中から対日占領政策を計画

 第二次世界大戦中、米国戦時情報局の依頼を受け、日本人の気質や行動を研究した文化人類学者ルース・ベネディクトの不朽の名作『菊と刀』は、日系人や対日経験のある米国人たちの協力を得て、日本人の心理を考察し、その矛盾した行動を鋭く分析したものである。1946年に刊行されたことから、占領軍として日本に派遣された GHQ スタッフの座右の銘となった。すなわち、彼らのイメージする日本人像がそこに描かれていた。
 アメリカは、敗戦後、日本を占領下に置くことを前提に戦時中から準備していた。驚愕すべきは、ベネディクトの著書『菊と刀』は、彼女が日本のことを知らずして、日系人や対日経験者のアメリカ人からの聞き取り調査にもとづいてこの著書をまとめたことである。卓越した情報収集力と研究方法である。これは、彼女の文化人類学という専門分野が功を奏したと思われるが、優れた研究方法論を有していたことも見逃せない。
 敗戦直前にも連合国軍の対日心理作戦が、飛行機から落下するビラ(伝単)を通して行われていた事実がある。すなわち、第二次世界大戦末期に連合国軍が日本の軍人や一般人向けに撒いたビラがそうであった。これらのビラは、日本の敗北が必至であることを伝え、戦意を喪失させ、投降を促したものである。ビラを作成した部署は、南西太平洋地域総司令部(GHQ / SWPA)の心理戦部門(PWB Psychological Warfare in the Southwest Pacific Area)であった。これは、筆者が故マーク・T・オア博士から生前寄贈された大型のアルバムに貼付されたものであるが、劣化する恐れがあり、貴重な史料であることを鑑み、国立国会図書館憲政資料室に寄贈し、国立国会図書館デジタルコレクションとして閲覧できるようになった。詳細について、以下を参照してもらいたい。このようなビラ行為も「洗脳」の範疇に入るかも知れない。


出典:『国立国会図書館 月報』728号(2021年12月)

Education を「教育」と恣意的に誤訳

 明治政府が英語の Education を近代化の「道具」として使う目的で、これをどのような日本語訳にするか迷った。結果的には、「教育」と翻訳した。Education の語源を紐解けば、「教育」などあり得ない独断と偏見の誤訳であった。「迷った」としたのは、当時の明治政府リーダーはそれが誤訳であることを十分承知のうえで、近代化の道具として Education を「教育」と誤訳した。いまでは『広辞苑』をはじめ、多くの辞書が「教育」と訳している。これなど「洗脳」ではないのか。
 筆者のコロンビア大学大学院の指導教官であったハーバート・パッシン教授は、英語の Education は「教育」ではなく、むしろ「啓育」に近いもので、「教育」とは英語の Indoctrination(教義)とするのが実態に近いと講義で教わったことがある。すなわち、「教育」は「洗脳」の語源に近いことがわかる。ロシアのウクライナ侵攻で「プロパガンダ」ということばが広まったが、これも「洗脳」と大差がない。日本で行われる学校教育は、子どもたちに、指導という名のもとに洗脳しているとは言い過ぎであろうか。なぜ、社会問題にならないのか。民主主義国家という名のもとに、文科省によって学校が利用されているからである。戦前の「軍国主義」プロパガンダとどこが違うのか境界線が曖昧である。

占領とは何か

 「占領」とは、『広辞苑』によれば、「武力をもって他国の領土を現実に自国の支配下におくこと」とあるように、「戦争の継続状態」であった。したがって、占領下の改革が、アメリカ主導型であったことはもとより、彼らの利害関係が優先され、恣意的な改革であったことは否めない。
 著者は、「戦後占領期に GHQ は、検閲等を通じて日本人に施した『ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)』というマインド・コントロールによって、日本人を徹底的に洗脳し、武士道や滅私奉公の精神、皇室への誇り、そして、それらに支えられた道徳心を徹底的に破壊することで、日本人の『精神の奴隷化』を図ろうと試みたのです。(中略)ところが、戦後70年になる現在も、日本人のマインド・コントロールはまだほとんど解けておらず、それが様々な分野に悪影響を与えています。なぜでしょうか?」(19頁)と問題提起している。重要な指摘である。その最大の原因は、戦後の政治家と教育界、そしてマスコミのせいだとして痛烈に批判している。
 ここでの著者の指摘は、分けて考える必要がある。なぜなら、前半は占領下における言動であり、アメリカの管轄下であった。戦勝国が敵国日本の軍国主義を壊滅するために、武士道など危険思想を取り除く措置は、当然のことで、それが「占領」である。マインド・コントロールがあったという弱い立場にあった。諸悪の根源はそこではない。著者も指摘しているように、占領が終結して独立国家となったにもかかわらず、軌道修正のないまま現状を維持していることにある。これを著者は、「洗脳」ということばで表現している。
 敗戦後の日本の教師は GHQ に対して、戦前の軍国主義の教科書からアメリカの民主主義の「教科書」が欲しいと懇願したと言われ、日本人が自らアメリカのマインド・コントロールを望んでいたと疑われても仕方がない。
 著者は、続けて、「繰り返しになりますが、最初に日本人の精神的武装解除を計画したのは、たしかに GHQ です。しかし、GHQ が去った後、よりいっそう真面目に、かつ真剣に精神的武装解除のための『精神の奴隷化』政策を継続したのは、日本の政治家と教育界、そして左翼化したマスコミです。」(25頁)と述べている。これは、部分的には的を射ているが、本質から乖離している。そのような政治家やマスコミ、教育界を育てているのは、ほかでもない「学校教育」ではないのか。その根源を断たない限り、解決のない堂々巡りに過ぎない。

外圧による変化

 筆者は、近著『戦後日本の大学の近未来』(東信堂、2022年)で「過去の外圧」について論じている。タイトルだけを見れば、アメリカ占領軍による「外圧」があったかのような示唆を与えるかもしれないが、外圧の意味合いが違う。ここでは、日本側からの GHQ に対する「外圧」であった。批判を恐れずに言えば、「占領」は、日本にとって「成功」であったと考えている。あるアメリカ人から、どちらが戦争に勝ったのかわからないとのクレームがそれを示唆している。それは、占領を受け入れた日本側の柔軟な「態度」にあった。
 ピューリッツァー賞受賞作品のジョン・ダワー『敗北を抱きしめて~第二次大戦後の日本人』(Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II)には、「1945年8月、焦土と化した日本に上陸した占領軍兵士がそこに見出したのは、驚くべきことに、敗者の卑屈や憎悪ではなく、平和な世界と改革への希望に満ちた民衆の姿であった。」と描かれている。
 筆者は、GHQ 民間情報教育局で教科書改革を担当し、占領初期に来日した、ハーバート・ワンダーリック博士から、彼が敗戦直後の日本に到着したときに、拳銃を所持していたと、拳銃を見せてもらったことがある。それはマッカーサーも同じで、占領下の軍備体制を考えていたが、あまりにも日本側が従順であったことから、急転直下の柔軟な態度に変身したと言われ、「洗脳」するまでもなかった。


Amazon | Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II | Dower, John W. | Japan


 戦後70年が経過したにも関わらず何も変わっていない。それは、変わる必要がなかったからに過ぎない。日本国憲法や六・三制学校制度が GHQ の「押しつけ」であったとの俗論がまかり通った時代があった。六・三制学校制度においては、それが「嘘」であっただけでなく、逆に、日本側が GHQ に押しつけたものであった顛末が筆者の実証的な研究から明らかになった。これは日本国憲法についても言える。なぜなら、日本がそれを維持し、改革を拒んでいるからである。これを見て、GHQ の「洗脳」だと断言できるだろうか。それは日本人が望んだからに過ぎない。日本国憲法第9条が良い事例である。
 日本が外圧に影響されやすいことは、過去・現在を見れば明らかである。歴代の首相の共通点は、アメリカを中心とした先進国に独自の考えを主張できず、「風見鶏」だと揶揄されているところからも察することができる。外圧に弱いのは、島国では海外からの情報は希少な上に、インパクトが大きかったからである。長い鎖国時代の反動から、開国後の外圧に脆弱になった。舶来品や外国製品がもてはやされるのもそのような考えがあったからである。
 世界には、日本のように同じ状況下に置かれた国があるにもかかわらず、なぜ、日本だけが違うのか。多くの要因が考えられるが、筆者は、その原点が江戸時代の「寺子屋」にあったと考えている。

おわりに

 ChatGPT の最先端 AI の時代に、150年以上前の古い「寺子屋」教育を取りあげるのは不可解に思われる読者も多いであろう。江戸時代の日本の教育の普及率が同時代の欧米諸国と拮抗していたことは信じがたいことであるが、ドナルド・ドーア教授やハーバート・パッシン教授らの外国人研究者が、日本の近代化の原動力を「寺子屋」に求めていることは興味深い。エリートの高等教育が社会を牽引するのが一般的であるにも関わらず、日本の「ボトムアップ」は注目された。すなわち、寺子屋の「読み」「書き」「そろばん」の基礎学力が近代化の原動力となったとの分析である。国民全体の識字率を高めることで欧米列国に追従できたことは注目に値する。
 昨今、ニュースといえば ChatGPT である。この出現で学校教育の存在そのものが危機に瀕している。これからの大学はどうなるのか、存続するのか否か、真正面から問われることになる。
 筆者は、ChatGPT は避けて通れない「試練」と考えている。ただ、現在の状況を考えると ChatGPT の普及は「危険」であり、あたかも幼児に「拳銃」を持たせるようなものである。
 ChatGPT 対策も議論されている。国立情報学研究所は、第64回「大学等におけるオンライン教育とデジタル変革に関するサイバーシンポジウム『教育機関 DX シンポ』」を2023年4月21日オンラインで開催した。ChatGPT に関する報告もあった。中川裕志氏(理化学研究所革新知能統合研究センターチームリーダー)による「ChatGPT との付き合い方」では、「ChatGPT は嘘をもっともらしく作文する機械である」と述べた。続いて、松林優一郎氏(東北大学教育学研究科)も「ChatGPT と教育における信頼性」と題して講演し、ChatGPT は、「真実のような嘘(Hallucination)が及ぼす影響」と述べている。これらのことからも、データを鵜呑みにするのではなく、真偽を批判的に分析する力を育てることが学校教育に求められる。
 Chat(お喋り)と銘打っているように、誰でも簡単に喋りかけられるツールであることを考えれば、学校教育において「疑う」ことの重要さを学び、「嘘を見抜く」批判的思考力や洞察力を育む授業への転換が焦眉の急である。

(2023年6月27日)
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