主体的学び研究所

再び「エミール」より ーひとが能動的であることについてー

再び「エミール」より ーひとが能動的であることについてー

人はみな能動的な力があたえられている。「知覚することは、感じること。比較するとは、判断すること。」まさにICEアプローチである。「より大きい」とか「より小さい」とかいう比較の観念は感覚ではなく、判断の範疇であり、判断するということが既に能動的な活動をしている。それは感覚の真実に自分の誤謬をもちこんでいるから。しかしもし人が純粋に受動的であるとするなら感じるということの群の間での交流はなくなり、さわっている物体と見ている物体が同じものであることを知ることができない。この人が自然にもっている能動的な精神を省察(リフレクション)、注意、反省と呼ぶ。さらには運動はすべて、自発的、意志的な行為によらなければ起こりえない。ひとは能動的で自由であれば、自分から行動するようになる。すべての悪い行為の原因は自分にある。他人の所為にしてはいけない。自分の利害だけを考え、他人への愛を感じなくなっていく、あたたかな友情や人間愛が薄れていく、常に他人との競争を考え、他人と比較して誇ったり卑下したり妬んだりするようになる、意地悪をするような行為はすべて受動的なのである。

知識が記憶のなかにあるだけのひとと知識が判断力のうちにあるひとの違いを考えたい。

 

研究員 花岡隆一

 

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