主体的学び研究所

29.日本はミネルバ大学から何を学べるか(その2)

主体的学び研究所 顧問
土持ゲーリー法一

オンライン授業における反転授業の効果

 今回のコラムでミネルバ大学を取り上げたのには別の理由がある。それは、すべての授業がオンラインで行われているという事実である。前回で述べたように、日本が新型コロナウイルス感染拡大の影響で、対面からオンライン授業に半ば強制的に移行されたのとは異なり、ミネルバ大学は、それより前の2014年にオンライン授業からスタートした。裏返せば、オンライン授業の導入でアメリカの大学において何か別のことを期待していたからにほかならない。
 講義形式の授業は、反転形式の授業に比べてはるかに学習効果が低いが、それでも大学はそれをやめようとしない。大学教育の大半の時間は、「講義」のために費やされる。これは専門知識を伝達することを教育だと考える人たちにとっては最も効率的な方法である。教授一人に対して、学生を百人規模で集めることができれば、情報の拡散効果は大きい。筆者は、「効率」という用語に違和感をもっている。なぜなら、これは経済用語であって、教育用語ではないからである。日本では教育効果を「効率」という尺度で測定する。良い教育は、本来、効率が悪いものである。
 ハーバード大学のエリック・マズール教授らの研究では、自分の物理学の授業で、講義形式で教えた内容について半年後に確認テストを行ったところ、実に90%の学生が学んだことを忘れていた。これに対し、事前課題を与え、授業では少人数のグループをつくり学生が互いに学んできたことを共有し、不明点を補助教員や教授に質問する形式を採用したところ、同じ期間で約70%の学生が学んだ内容を適切なレベルで記憶できていたという。マズール教授が採用した授業方法は「反転授業」や「ピア・インストラクション」と呼ばれるもので、こうした方式が効果的であることは他の学者の研究事例でも証明されている。事実、筆者も「論考13 アクティブラーニングの効果~ICEモデルの活用」拙著『非常事態下の学校教育のあり方を考える~学習方法の新たな模索~』(東信堂、2021年)でカール・ワイマン博士の取組みを紹介している。
 事前課題を付与し、当日までにある程度の基礎知識を習得してきた学生からランダムに質問を受け、限られた時間の中で適切にさばくスキルは、ある程度熟練した教員でないと難しい。研究に、より多くの時間を割きたい教員は授業準備に時間のかかる作業を嫌う。なぜなら、教員評価は研究成果で判断されることが多いからである。学生からの授業料も研究のために多用される。大学における授業料の還元としてのアカウンタビリティが問われる所以である。

オンライン授業におけるアクティブラーニングの効果

 筆者も、実際、オンライン授業を実践している。対面授業と違ってスクリーン上でアクティブラーニングを行うことは容易ではない。京都情報大学院大学のオンライン授業では「カメラON」を義務化しているが、なかなか徹底できない。なぜなら、構造的欠陥があるからである。何よりも、オンライン授業でアクティブラーニングを実践するには、履修学生数が多すぎて画面の枠内に収容できない。チャット機能や挙手を利用してアクティブラーニングを促しているが、対面授業でもうまくいかないものがオンライン授業でうまくいくはずがない。
 ところが、ミネルバ大学は、オンライン授業を「看板」としている。どこがどう違うのだろうか、考えてみる。

「アクティブ・ラーニング・フォーラム」という技術

 ミネルバ大学は、参加者全員が集中し、学習効果を最大限に高めることが可能な独自のプラットフォームを採用している。アクティブ・ラーニング・フォーラム(Active Learning Forum)と呼ばれるセミナー形式の授業を運営するために最適化されたもので、従来の教室で行う授業では実現が不可能なさまざまな機能が実装されている。
 以下の画像、授業中のデフォルト画面である。上段に参加者全員の顔が表示され、全員の顔を見られるようになっている。従来の教室での授業のように、2列目は存在しない。


https://hyamamoto.com/active-learning-forum/

 ミネルバ大学の授業は、オンライン授業のひとつの「完成形」だと考えられていると、「福原将之の科学カフェ」「ミネルバ大学のオンライン授業システムを既存のサービスで再現できないか考える」で述べている。詳細は、以下の(https://kagakucafe.com/202006298836.html)を参照。
 この記事には、ミネルバ大学独自のオンライン授業システムの特徴が紹介されているが、筆者はアクティブラーニングを促進する視点から、以下の学生の発言時間を確認する機能に強く印象づけられたので、その部分を紹介する。


https://hyamamoto.com/active-learning-forum/

 これは、オンライン・プラットフォームだからこそ実現できる。たとえば、すべての学生になるべく均等な発言機会を与えることは、教室型の授業では、教授の記憶力に依存するところが大きかった。しかし、アクティブ・ラーニング・フォーラムの発言を確認する機能を使えば、どの学生がどれだけ発言しているか瞬時に表示され、教授は誰に発言をまわせば良いのか容易に把握できる。画面上部にある学生一覧の色で、その学生の発言時間を知ることができる。赤色の学生は発言量が多く、緑色は発言量が少ないことが色で表示される。

ミネルバ大学4年間のカリキュラム

 本コラムのハイライトともいえる部分である。ミネルバ大学4年間のカリキュラムについては、以下の図表を参照にしてもらいたい。1年目の学習内容(「学び方を学ぶ」)は4年間を通じての核となり、さらに卒業してからも自らを進化させることができる。
 これは重要な指摘である。これまでも「学び方を学ぶ」が重要であると繰り返し論じてきた。それはリベラルアーツ教育のエッセンスだと考えているからである。それを初年次に置き、それが卒業後にも役立つという考えは画期的である。NSSE初代会長ジョージ・クーの初年次が重要であるとの指摘を裏づけるものである。すなわち、初年次の「学び方を学ぶ」は、卒業後の人生の指針に役立つとの考えである。


https://www.youtube.com/watch?v=tFgiBYE68ZY

 上図「ミネルバ大学の学士向けカリキュラム」を「足場型カリキュラム」と位置づけている。図表を参照にしながら以下に説明する。注目すべきは、1年目のカリキュラムである。ここでは「学び方を学ぶ」ために、「汎用能力」を培うことを目標としている。ミネルバ大学の汎用能力とは、①批判的思考力、②創造的思考力、③情報発信力、④関係構築力の4つの能力であると定義づけている。そして、これらの4つの汎用能力が「一般教養課程」に相当するとしている。これまでの大学と違うのは、③情報発信力と④関係構築力が加わったことで、斬新な視点が見られることである。
 筆者は、戦後日本の高等教育改革史を研究している。なかでも、リベラルアーツ教育に関心を持っている。アメリカのGeneral Educationが日本に導入されたが、うまく機能せずに、後に、解体される運命になった。最近、「一般教育」という訳語は適切ではなく、アメリカ教育使節団の意図した考えは、「汎用能力」(General Education)であったのではないかと考えるに至った。そこで、ミネルバ大学1年目のカリキュラムの汎用能力が一般教養課程に相当することを知って、我が意を得た心境である。
 2年目になって、はじめて「方向を探る」のところで、学部と専攻科目を選択することになる。学部は社会科学部(Social Sciences)、自然科学部(Natural Sciences)、計算科学部(Computational Sciences)、人文科学部(Arts and Humanities)、経営学部(Business)といった伝統的なリベラルアーツ・カレッジと同じ学部形式を採用している。初年次に「学び方を学ぶ」を徹底した後に、専攻科目を選択することは理に適っている。
 次が、3年目と4年目で「学びとキャリアを探究・合成する」というもので、専攻科目の知識を批判的に思考できる力を習得した後の、3、4年次にキャップストーン(Capstone、探究研究)と呼ばれる専攻分野で得た知識や知恵を実社会に応用するための長期研究テーマを自ら企画し、指導教授と必要に応じて学外の専門家のメンターリング、サポートを受けながら遂行していくというものである。この活動は、学生が実社会に出て活動するための基礎づくりとなる。
 ミネルバ大学の卒業生が実社会で活躍できているのには「秘訣」があることがわかった。それはカリキュラム構成によるところが大きい。初年次に「学び方を学ぶ」で批判的思考力を身につけた後、専攻科目を選択、3~4年のキャップストーンで社会とのつながりを学ぶというように系統だった学びでできているからである。
 大学のカリキュラムだけではない。ミネルバ大学では、すべての授業を完全なアクティブ・ラーニング(Fully Active Learning)で行うという原則を適用し、授業における講義を禁止するなど、学生主体の学びを厳格に適用している。これなど、前述した経団連の提言は「逆行」したものであるといわざるを得ない。これでは世界に太刀打ちできない。
 「ミネルバ大学では、1年次には成績を確定しない」ことは注目に値する。その理由を実践的な知恵は、はじめて経験する状況でも有効に使えることが実感できないと「流暢に使いこなせる」レベルに達したとは考えられないからであるとしている。そのため、2年生以降も学生が1年次に学んだ思考・コミュニケーション技法について評価を継続するというのである。これは至極当然である。1年目の「学び方を学ぶ」は汎用能力を培うところで、それはツールの伝授に過ぎず、評価の対象にならないからである。汎用能力を使って実践して、はじめて成績評価の対象になるとの考えである。したがって、「成績を確定しない」との指摘は斬新である。
 変化の速い社会では、「未知の分野で通用する思考。コミュニケーション能力」こそが高等教育を修了した人材に期待されるスキルであり、この習得には、効果的なインプットと実践してアウトプットする場が必要である。すなわち、変化の速い社会では、専門的な知識はすぐに陳腐化する。これが、批判的思考力などリベラルアーツ教育を必要とする所以である。
 鑑みれば、大学は高大接続を重視して、大社連携に疎いのは、そのような経験に乏しいからにほかならない。それは、大学院での研究から大学現場に直行している弊害ともいえる。すなわち、社会経験が乏しいことに起因する。学生のインターンシップを促す前に、教員もインターンシップの経験が必要なのかも知れない。

おわりに

 以上、ミネルバ大学の取組みについて概観した。日本の大学が学ぶべきことは山ほどある。しかし、2回のコラムで論じたことが、すべて日本の大学に導入できるかどうかは未知数である。現時点では、不可能と言わざるを得ない。それでは、諸悪の根源はどこにあるのか。それは1年目の大学カリキュラムにあると断言できる。戦後日本の大学において「一般教育」なるものを正しく理解していたら、別の展開があったと考えている。すなわち、1年目を「学び方を学ぶ」とした徹底した汎用能力を培うことこそが肝要であったと思われる。現状の大学を省みれば明らかなように、3つのポリシーでも最後のディプロマポリシーにしのぎを削っている。その前の2つのポリシーが不完全なところにディプロマポリシーで何を期待するというのか。
 授業においても然りである。初年次教育よりもゼミ教育を重視する傾向が教員にも学生にも見られる。ミネルバ大学のキャップストーンは、汎用能力の基礎がなければ、実践できないカリキュラム構造になっている。
 1年目の汎用能力が徹底されれば、対面授業であれ、オンライン授業であれ、自ずとアクティブラーニングの実践が可能になるはずである。
 最後に、2年前に新型コロナウイルス感染拡大の影響で、混乱の最中に暗中模索の末に、オンライン授業で危機を「回避」した。筆者も既存のテレビ会議システムZOOMを借用してオンライン授業を行った。これはテレビ会議用に開発されたもので、オンライン授業用には不完全だと実感している。
 これまで見たように、ミネルバ大学のオンライン授業は「完成形」に近いと評価されている。しかし、手品ではないが、「種も仕掛けもある」ということがわかった。それは独自の「アクティブ・ラーニング・フォーラム」というプラットフォームを持っていることである。したがって、現状のZOOMとの単純な比較はできないことを認識すべきである。
(完)

(2022年3月3日)