主体的学び研究所

28.日本はミネルバ大学から何を学べるか(その1)

主体的学び研究所 顧問
土持ゲーリー法一

はじめに

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、大学の授業が対面授業からオンライン授業に変わって約2年が経過しようとしている。これからの大学が完全な対面授業に戻れるのかどうかは未知数である。何よりも、オンライン授業は緊急措置だと捉えて、いまは試練のときだと「辛抱」しているところがあることも否定できない。しかし、オンライン授業は、必ずしも、ネガティブな側面だけではなかったはずである。これまで当然だと考えてきた「教育」あるいは「学習」のあり方について、これで良かっただろうかと考えさせる機会を与えてくれた。
 今回のコラムは、今、世界で注目される完全オンライン授業を徹底しているミネルバ大学について考える。テーマを「日本はミネルバ大学から何を学べるか」として、2回に分けて取り上げる。
 このテーマにした理由は、単に、ミネルバ大学の挑戦が世界のトップ大学に衝撃を与えただけでなく、大学とは何か、大学教育とはどうあるべきかを真正面から問い質したころにある。とくに、筆者が注目したのは、ミネルバ大学が2014年に開校され、すべての授業をオンラインにすることを決めて実践したことである。この時点では、新型コロナウイルス感染拡大の影響によって、対面授業がオンライン授業に変わることは予想していなかった。そのような状況下であったにもかかわらず、ミネルバ大学の取組みが注目されたのはなぜなのか。今後のオンライン授業のあり方を考えるうえで示唆に富むものであると考えている。
 幸い、ミネルバ大学について日本連絡事務所代表を務めた山本秀樹氏の『世界のエリートが今一番入りたい大学ミネルバ』(ダイヤモンド社、2021年)が刊行されているので、そこで紹介されている内容を引用しながら、その「内実」に迫る。

ミネルバ大学はどのような大学なのか

 「世界のエリートが今一番入りたい大学」といわれているミネルバ大学とはどのような大学なのだろうか。ミネルバ大学は、2014年9月にミネルバ・プロジェクト社がクレアモント大学系列ケック大学院と提携して開校した。この大学は、これまでの大学の固定概念を根本から覆した、斬新で挑戦的なものである。その一つが固定したキャンパスを持っていないということである。これまでは、大学=キャンパスのイメージが強かった。とくに、アメリカの大学の広々としたキャンパスは魅力的で、芝生に横たわりながら本を読む学生の姿が印象的である。
 「キャンパス」はないが、7つの国の都市をキャンパスにして、学生たちは4年間フィールドワークを実践する。また、全寮制といわれるが、それはハーバード大学の「ハウス」やエール大学の「カレッジ」のような伝統的なものとは違って、都市の中にある普通の集合住宅を利用し、授業はすべてオンラインで行うという画期的なアイデアである。
 以下が、学生が4年間で学ぶ、世界の7つの大都市である。



 ミネルバ大学は、前例のない大学として世界中から注目され、2万人以上の受験生が集まり、合格率はわずか1.9%の狭き門といわれ、ハーバード大学、スタンフォード大学、ケンブリッジ大学などの名門大学の合格を辞退して進学する学生もいる。日本人学生も3名合格・進学しているという。

大学カリキュラムの特徴

 筆者は、大学経営者ではない。したがって、ミネルバ大学のカリキュラムや授業実践の取組みに興味があるので、それらを中心に日本の大学と比較し、前掲の山本氏の著書を引用しながら紹介する。
 ハーバード大学エリック・マズール教授は、1997年にピア・インストラクション(Peer Instruction)という論文において、反転授業とセミナー形式の授業は、従来の講義形式の授業よりも「学生の学びの質」という面でははるかに効果的であることを実証した研究を発表している。後に、マズール教授は、ミネルバ大学がカリキュラム設計の軸としている実践的な知恵(Practical Knowledge:独自に定義された学生が未知の世界でも活躍できるための思考・コミュニケーション技法)の構築にアドバイザーとして参画した。
 以下の図表は、「ミネルバ大学が考える『実践的な知恵』の概略図」である。とくに、「個人の能力」と「対人能力」を分けで記述している。


http://un-control.com/2018/12/17/minerva-schools/


 これまで大学は知識、とくに専門知識を伝授することに重点が置かれてきた。ところが、ミネルバ大学では「知識」ではなく、「知恵」という新しい考えを打ち出し、それも「実践的な知恵」(思考・コミュニケーション技法)を強調しているところに特徴がある。「知識」と「知恵」は、似て非なるものである。「知識」は他者から授かるものであるのに対して、「知恵」はその知識を実践し、独自のものに変革して修得したものであると筆者は理解している。

知識はMOOC、実践はミネルバ大学

 2012年は、MOOCの年と呼ばれたほど、世界の注目を浴びた。しかし、現在は「鳴かず飛ばず」の状況にある。MOOC大手のユダシティ(Udacity)副社長・クラリッサ・シェンは、エコノミック・タイムズ紙の取材に対して、次のように述べている。すなわち、「MOOCは失敗作だった。少なくとも我々が目指していた、人々のキャリアに好影響を与える教育を提供するというミッションにおいては、役に立たないものだ。多くのオンライン教育会社が講義の動画を多く揃えることに価値を見出しているが、学生を雇用する側は、より実用的なスキルを求めている」がそうである。
 ミネルバ大学の学生は、1つの授業につき平均3~4時間の予習が必要で、効果的なディスカッションをするためにMOOCを活用している。事前に身につけておくべき基礎知識を効率的に習得するためである。MOOCは有名大学が、看板教授の知識伝達授業を誰でも聴講できるようにした画期的なものとして、世間の大きな話題となった。しかし、MOOCを大学の授業として取り入れても学生の学習効果が高まる訳ではない。それは、マズール教授が指摘しているように、「講義形式の授業は学習効果が低い」からで、MOOCはその本質的な課題解決にはなっていない。どんなに有名教授が講義をしても、学生の学習効果は高まらない。実際、MOOCの平均的な受講完了率はわずか7%で、その受講生の多くは、40~50歳代の職業人であるという。
 ニューヨーク・タイムズ紙は、MOOCについて、「我々は、テクノロジーと有名教授の講義が教育を変えるのではないかと騒いできたが、実際に重要なのはテクノロジーを用いて、セミナーのような学習効果の高い学習を実現できるかだ」と述べている。
 ミネルバ大学は、講義を廃止している。ミネルバ大学が学生に提供する価値は知識ではなく知恵であるという行動指針に基づき、実際に授業中に教員が話せる時間を連続4分、90分の授業の中でも合計10分以内と定めている。知識を習得するための基礎科目は、MOOCを無料で利用できるのでミネルバ大学では取り扱わないという。すなわち、知識と知恵を峻別している。知恵とは実践的なものであると定義づけている。

経団連の提言の欠陥

 日本経済団体連合会(経団連)は、提言「新しい時代に対応した大学教育改革の推進~主体的な学修を通じた多様な人材の育成に向けて~」(概要版)を2022年1月18日に発表した。これについては、『教育学術新聞』でも論考が近く掲載される予定である。
 とくに、筆者が危惧する提言は、「教育課程」に関するもので、「学修時間に紐づけられた単位のあり方を見直し学修成果や定量的・客観的測定方法に基づいた単位認定にあらためるべき」としているところである。これは、戦後70年、日本の大学が曲りなりにも単位制として大学の質の確保につとめてきたものを「一刀両断」に切り捨て、「学年制」を想起させるかのように、講義中心の授業形態に戻ることを暗示している。さらに、それを加速するかのように、「卒業要件にかかわるオンライン授業による修得単位数の上限(60単位)を撤廃すべき」とまで提言している。言語道断である。これなど経済優先・資本主義にもとづく考えを露にしたものにほかならない。
 前述のMOOCの失敗を繰り返しているに過ぎない。すなわち、講義形式の授業は効果ないと証明されているにもかかわらず、経団連は、質の確保を維持している単位制を蔑ろにして、講義形式による授業に基づく定量的なものを推し進めようとしている。これで世界に対応できるのか。一方的な自己満足に過ぎない。経団連の考えは、基本的には、日本の学校教育が明治時代の発展途上国型の「効率」を重視したものから脱皮することなく、未だに教員中心で、学習者の学びを蔑ろにしている。

「大社連携」の欠如

 筆者は、日本の大学が高大接続に不毛な議論を重ねてきたことが、逆に、大学の質の低下につながったと独自の見解をもとに厳しく反論している。高大接続は、重要な検討事項であるが、それは高校側において議論されるべきことである。大学が議論すべきは、大学と社会の接続の「大社連携」であるべきで、それが日本では弱いと主張してきた。しかし、これは、必ずしも、正しい認識ではなかったのかも知れない。なぜなら、日本が参考にしているアメリカでも、近年、同じような調査結果が明らかになったからである。たとえば、2014年に米国のギャラップ社が実施した意識調査がある。大学と企業経営リーダー層に対し、「学生は社会で活躍できる準備ができていると思うか?」と質問したところ、実に96%の大学経営者は「そう思う」と答えたのに対し、企業側はわずか11%のみが「そう思う」と答えたに過ぎなかったという。
 これは、興味ある意識調査である。質問項目をどのように理解するかの立場の違いはあるにしても、これだけの「格差」があることは看過できない。これはアメリカの調査であるが、日本ではどうなるのかと不安になる。高大接続のみが重視される社会、そして大社連携の弱い日本での意識調査が怖いと心配するが、企業側は最初から大学にあまり期待を抱いていないのかも知れない。何よりも、日本には優れた企業内教育が発達しているのでアメリカと同じような視点では比較できない。
 さらに、世界経済フォーラムがまとめた調査によれば、2020年に求められる10の職業スキルは、①複雑な問題解決力、②クリティカル思考力、③創造力、④人材育成管理、⑤人間関係調整力、⑥情緒的知性、⑦判断・決断力、⑧サービス中心指向、⑨交渉力、⑩柔軟な認識力、となっている。このような職業スキルは、現在の日本の大学生には学べないことばかりである。教員たちの教えている科目がこれらのどのスキルを習得するのに役立っているかを明記すべきである。最近のアメリカの大学の授業シラバスには、担当授業科目が大学のポリシーのどこに該当するのかチェックさせるところがある。帝京大学(八王子キャンパス)でも検討したことがあるが、功を奏しなかった。なぜなら、日本では授業で教えることと、職業スキルとは別のものだと考えているからである。

(2022年3月3日)