主体的学び研究所

24.教科書と日本人

主体的学び研究所 顧問
土持ゲーリー法一

はじめに

 アメリカの有名なテレビドラマに「刑事コロンボ」がある。なんど見ても痛快である。最初から犯人が特定され、じわりじわりと詰め寄るシーンは、今でも脳裏から離れないものがある。それよりも余韻が残るのは、彼のセリフ「ウチのカミさんがね」である。英語のWifeを「妻」でも「嫁」でも「女房」でもなく「カミさん」と訳すのは、コロンボ刑事の役柄にピッタリな名訳である。筆者も家内のことも、今回のコラムに限り、「ウチのカミさん」と呼ぶことにする。そのカミさんが生活クラブ生協の『生活と自治』(2021年4月号)に、特集「『教科書』は今。子どもの学びをどう支えるのか」と題する面白い記事があると手渡してくれた。それに触発されて、「教科書と日本人」についてコラムを書くことにした。
 教科書と日本人については、唐澤富太郎著『教科書の歴史:教科書と日本人の形成』(創文社、1968年)に詳しい。
 教科書が日本人を作ったと言っていいほど、子どもの教育および学校教育において重要な役割を担っている。教科書に書かれている内容は「金科玉条」とばかりに敬われている。筆者の子ども時代は、教科書は「授かるもの」とのイメージが強く、乱暴に扱ったり、粗末にしたりすると叱られたものである。人が歩く畳の上に置いても神聖なものをと怒鳴られたことを思い出す。したがって、教科書に書かれていることが、「すべて」だと教え込まれ、内容に口を挟んだり、批判したりすることなど許されなかった。
 教科書のはじまりは、国定教科書として国が作り、給付する「国家行事」であった。そして、検定教科書へと受け継がれた。たしかに、「国定」と「検定」とでは違う。極端に言えば、「軍国主義的」から「民主主義的」への「パラダイム転換」であった。しかし、教育を授かる子どもたちにとっては、どちらも同じである。表面的には、変わったように見えても、本質的には、何も変わっていない。本コラムでは「教科書と日本人」と題してまとめることにする。

戦後教育改革と「社会科」

 戦後教科書の大きなターニングポイントは、1946年3月来日した米国教育使節団の『報告書』による勧告であった。前コラムの繰り返しになるが、これは1946年、連合国軍最高司令部の要請により、日本の教育改革のために来日した米国教育使節団が勧告した『報告書』のことである。総勢27名のメンバーが1946年3月に約1か月間滞在し、日本の学校を視察したり、日本側教育家委員会などと協議したりして、3月30日に連合国軍最高司令官マッカーサーに『報告書』を提出した。これは、戦後日本の教育改革の方向性を決定づける「バイブル」となった。
 注目すべきは、国定教科書の廃止や国史・修身・地理を停止して「社会科」を導入したこと、高等学校3年を含めた六・三・三制と男女共学制の導入や、ローマ字の採用、教育行政の地方分権化など多岐にわたる勧告であったことである。筆者は、「社会科」の新たな導入が、その「起点」となったと考えている。なぜなら、「社会科」はアメリカ民主主義の象徴であり、それが民主化のバロメーターとなったと考えるからである。したがって、日本の民主化の度合いは「社会科」の普及で判断できたと言っても過言ではない。しかし、「社会科」の導入に関しては、紆余曲折があった。
 教育使節団『報告書』の勧告を受けて、GHQ/CI&E教育課員は、「社会科」など戦後の教科書のあり方に尽力した。とくに、占領初期の取り組みは混沌としていた。このあたりの事情を詳しく紹介しているのが、筆者が監訳したH・J・ワンダーリック『占領下日本の教科書改革』(玉川大学出版部、1998年)である。


 表紙写真上が1946年、東京大学教授・海後宗臣邸を訪問したワンダーリック、表紙写真下が1946年、民間情報教育局であった日本放送会館で東京大学教授岸本英夫とワンダーリックである。
 この著書に含まれるワンダーリックの回想録から、旧文部省の実態が露になっている。すなわち、「文部省は教科書から教師および生徒に至るまで、思想をも含み、教育のすべての分野において詳細に統制した。」(74頁)さらに、興味深いエピソードも紹介している。それは、日本が戦争に負けたのは、「国体主義」が原因であり、アメリカの「民主主義」を学びたいと「懇願」する場面が紹介されている。すなわち、「『民主主義に関する貴国の本』を求める日本人の態度は意欲的であった。我々は民主主義に関する、とくに教育のために翻訳すべきいかなる本もまた、その明瞭な定義ももっていなかった。」(74頁)と書かれている。短い引用文であるが、この中にすべてが集約されている。日本が敗れたのは、アメリカの民主主義が優れていたからで、それに追いつけ、追い越すためにはアメリカの民主主義を学ぶ必要があるという考えが根底にあった。したがって、アメリカには民主主義について書かれた教科書があるはずだと、それを求めて懇願している姿が描写されて興味深い。教科書が「すべて」の時代であった。

『教科書』は今

 同雑誌の特集の冒頭で、「たかが教科書、されど教科書。最近はその重さから、持ち帰らせない学校もあるという。教科書を目にしない保護者も増えているのではないだろうか。戦前戦中は、忠君愛国の精神をはぐくみ子どもたちを戦争に向かわせる道具にもなった国定教科書。戦後はその文言を墨で塗りつぶし、日本国憲法に学問の自由をうたい、教育基本法に則ったものとして再スタートした。だが、近年、学術研究や教科書への政治の介入は、さまざまな場面で見られるようになった。それがすべてではないにしろ、教科書が子どもたちに及ぼす影響は小さくない。子どもの学びはどう支え、はぐくめばよいのだろうか。」と問題提起している。
 冒頭で、戦前からの教科書の変遷がまとめられている。まさしく、「たかが教科書、されど教科書」ということができる。ランドセルが重たくなって、教科書を持ち帰らせないところもある。本来、教科書は学校で使うもので、自宅まで持ち込むのはどうかと個人的には考えている。子どもたちは、学校外で学ばせることも重要である。教科書ばかりが勉強でない。「勉強」ばかりが学びではない。これに関連して、もう古典になるが、松山幸雄著『「勉縮」のすすめ』(朝日文庫、1981年)という愉快な本がある。これについては、別の機会のコラムで取り上げることにする。
 戦後教育のなかで、「社会科」の授業を導入したこととも密接なつながりがあるが、子どものころから地域社会などを通して、社会性を身につけることも重要である。アメリカの学校では、廊下にロッカーが備えられ、教科書などの学用品はそこに入れて帰宅するように指導される。学校内と外の「メリハリ」を明確にしている。
 余談になるが、日本の学校では教科書や出欠が重視され、病気などよほどの理由がない限り、学校を休むことは許されない。アメリカでは、家族旅行で授業を休むことはそれほど「大げさ」なことではない。むしろ、社会勉強だとして歓迎する向きもある。しかし、その代替として、レポートを書かせたり、生徒の前で報告させたりする。このことから、教室外での図書館利用や課外活動の考え方にも差異が出てくる。さらに、大学に進学すると、単位制における教室外学習量の不徹底さへとつながる。
 同雑誌特集インタビューに答えて、文部科学省元事務次官・前川喜平氏は、『憲法23条』の「学問の自由」について、「学ぶとは本来、何者にも制約されず、自ら忖度もしない自由な行為でなければならないものです。」と述べている。そして、今の常識を疑わなければ、新たな発見は生まれず、探求心や健全な批判精神も育たないと語っている。そして、教科書はそうした自由な精神の営みを経た研究成果を尊重し、これらに照らして作成、点検されるべきであると主張し、現在の「教科書検定のしくみ」を暗に批判している。
 教科書の「原版」である「学習指導要領」には「法的拘束力」があり、教員がこれに違反すると罰せられる。したがって、「検定教科書」とは言え、それは名ばかりで、従来の「国定教科書」と大同小異である。
 現在の学習指導要領は「法的拘束力」があるが、占領下では違った。たとえば、1947年、社会生活を理解させ,社会的な態度や能力を養うことを目標に「社会科」を設置して、従来の修身,日本歴史及び地理を廃止し、「社会科」というまったく新しい教科のための学習指導要領としての意味合いが強く、アメリカのCourse of Studyのように位置づけられ、「試案」の文字がつけられ、「教師のための手引き」の役割をした。「試案」がどうして法的拘束力を持つまでに至ったのか、まさしく政治の介入ということにほかならない。「試案」という教員や子どもの自由な発想のなかに、思想や考えまでも拘束することが許されていいのか、あらためて考え直す必要がある。

おわりに

 2018年からは、道徳にも検定教科書の使用が義務づけられた。同特集のインタビューに答えた公立小学校教員・宮澤弘道氏は、「教科書は本来、学問的成果、科学的な根拠をもとに作成されるものです。ところが『道徳』には根拠となる科学、学問がありません。単元ごとに、人の行動や考え方などが示されているのですが、教科書ですから、子どもたちには、それが正解と受け止められてしまいます。しかし、実際の社会はもっと複雑な状況があって、人はさまざまな判断をします。一つの答えにはならないものです。」と語っている。
 道徳というと戦前の「修身」的なものをイメージするが、戦後の道徳はそれとは違うはずである。宮澤氏が指摘するように、「科学的根拠」にもとづくかどうかの違いである。学問たるものは、科学的でなければならない。これは、英語の語源に照らせば明らかである。科学とは英語でScienceのことで、それは「体系化された知識の学問」のことを意味する。「道徳」は、英語ではMoralである。これに相当するものとして、アメリカではEthics(倫理学)あるいはMoral Science(道徳科学)がある。
 前掲の宮澤氏は、「教科書を超える」ことを提言している。具体的には、「まずは、実生活に近い社会科や道徳の教科書を読んでみてはどうでしょう。『教科書は正しい』という前提に立たないで、科学的かどうか、価値観の誘導になっていないかなど、厳しい目で読んでみて、感じたことを子どもと話し合ってみてください。そうすることで、子どもは、いろいろな視点を与えられて、学びが深くなります」とわかりやすく説明している。
 本稿では、教科書、とくに検定教科書を中心にしたので、大学での教科書のあり方には言及しなかった。しかし、筆者の本コラムでの主張からもわかるように、大学の授業で教科書を使用することは、初等・中等教育の延長であるとのイメージを抱くもので「脱教科書」が望ましい。そこでは、「教科書『を』教えるのではなく」「教科書『で』教える」という教授法の転換が必要である。前者は教員中心であり、後者は学習者中心であるということができる。教科書の考えについても「パラダイム転換」が必要である。

(2021年5月27日)