主体的学び研究所

『主体的学び』を促すゲーリー先生の“Connecting the Dots”コラム

16. ジョン・タグと「学習パラダイム」

 主体的学び研究所 顧問
土持ゲーリー法一

はじめに

 ジョン・タグの待望の新書が刊行された。タイトルは、『教育神話:高等教育を変えるのが難しい理由とそれを変える方法』(原題:The Instruction Myth: Why Higher Education Is Hard to Change, and How to Change it(Rutgers University Press, 2019)と題する300ページを超す大著である。周知のように、タグは「学習パラダイム」の提唱者の一人である。新書は、「教育パラダイム」から「学習パラダイム」の転換ができていないアメリカを「教育神話」に喩えて、高等教育を変革するのがいかに難しいかを論じ、その「診断」と「処方箋」を提言している。コラムにしては少し長すぎるので、コラム16とコラム17の2回に分けて執筆する。したがって、新書の「教育神話」については、続編の「コラム17」で紹介する。

THE INSTRUCTION MYTH

「教育から学習への転換~学士課程教育の新しいパラダイム」

 新書を理解するには、彼の研究を振り返る必要がある。彼の文体は「哲学的」で奥深いと言われる。注目されるのは、彼が1995年にロバート・B・バーと共同執筆した論文「学習パラダイムへの転換」に関するもので、世界中から注目された。それを契機に、多くの研究者がこの論文を翻訳して引用しているが、どれも「許可」を得たものでない。
「主体的学び研究所」は翻訳権を独自に取得して、筆者の監訳の下で、「教育から学習への転換~学士課程教育の新しいパラダイム~」と題して、雑誌『主体的学び』(創刊号、東信堂、2014年)で刊行した。これが正式なものである。詳細は、同雑誌の創刊号の巻頭論文を参照にしていただきたい。実は、彼の新書の中で注目される「改革に対する抵抗力」との考えは、この論文の中にすでに散見できる。すなわち、彼の一貫した主張であることがわかる。
どのような議論であったか。もう一度、「パラダイムの現状と課題」(簡易版)の図表を以下に紹介する。詳細については、同雑誌を参照してもらいたい。

学習パラダイム大学

 ジョン・タグは、2003年に『学習パラダイム大学』(原題:The Learning Paradigm College (Jossy-Bass, 2003) を刊行した。これも大著である。以下に、目次と内容を簡単に紹介する。5部19章から構成される。
第一部 新しいパラダイム
 第1章 大学の挑戦:大学教育の現状
 第2章 「基準(Scale)」の問題:なぜ、イノベーションは大学を変容させないか
 第3章 教育パラダイム:目的よりも過程
 第4章 変革への道:古くて新しい「学習パラダイム」
第二部 根拠:学習者と学び
 第5章 学習者
 第6章 自己理論と学習モチベーション
 第7章 学びへのアプローチ
第三部 大学の学びの環境
 第8章 「部分」を決める「全体」
 第9章 教育パラダイム大学における認知経済
第四部 「学び」のデザイン
 第10章 学習パラダイム大学における認知経済
 第11章 学習パラダイム大学は本質的にやりがいのある目標を促進する
 第12章 学習パラダイム大学には、頻繁で、継続的で、つながりのある本物の学生のパフォーマンスが必要である
 第13章 学習パラダイム大学は、一貫性のある継続的なインタラクティブなフィードバックを学生に提供する
 第14章 学習パラダイム大学は、学習のための長い期間を提供する
 第15章 学習パラダイム大学は目的を持った実践コミュニティを作り上げる
 第16章 学習パラダイム大学は、学生の学習を生み出すという使命に沿ってすべての活動を調整する
第五部 大学を変える
 第17章 変革への障壁
 第18章 変化のための足場
 第19章 黄金律
 次に、どのような内容かについて、その特徴を抜粋して紹介する。「教育パラダイムでの成功は授業を開講し、学生を受講させることである。教室での時間が教育の価値となるが、大学の目的は授業に学生を参加させることなのだろうか。」「教育パラダイムは授業を増設することで教育上の問題を解決しようとする。」「学生の学習アウトカムに責任を持つということは、学習成果を保証するということではなく、学生の学習アウトカムが出るような環境を準備することに責任を持つということである。」「多くの教育者は教育パラダイムの効果を信じていないが続けている。」「学習パラダイムは新しい考え方ではなく、多くの教育者が支持している理論である。しかし、誰も実現しようとしない。」「NSSE調査によると、学生は教員が期待する時間の半分しか教室外学習をしない。」「学生は最初の1か月で、どれだけ学習をすれば良いかを学び、そのルールに従って残りの学生生活を過ごす。」「教育パラダイムは深い学びを阻害する大学の根本的な構造である。学習パラダイム大学が存在し、それが古いパラダイムの欠点を正すというものではない。」

ジョン・タグへのインタビュー

 2012年10月29日に、カリフォルニア州サンディエゴ市Hampton Inn SDでジョン・タグにインタビューした。2時間あまりの長い録音で多岐にわたる内容であった。今回の新書を執筆している最中であると話してくれた。日本への招聘を打診したところ、現在の執筆が終わらなければ、どこにも行けないとのことであった。事実、大学教育学会が東北大学で開催された2013年6月1日の基調講演の候補者にあがっていたが実現しなかった。そのため、ディ・フィンクが招聘された。そして、主体的学び研究所での筆者との対談「ディ・フィンクと土持ゲーリー法一のFD対談~教育と学習に関する主体的学びについて」が2013年6月7日に実現したという経緯がある。
 以下にジョン・タグとのインタビューの一部を紹介する。
 アメリカの大学は基本的に大学院をモデルとしたもので、その影響はジュニア・カレッジにも及んでいる。その組織の原点は、19世紀のジョンズホプキンス大学まで遡る。これは、ドイツの研究モデルがアメリカに輸入され、大学院モデルが中心となった。その結果、ハーバード大学などに、選択科目が導入されたが、これは大学院で研究を目指す者が関心のある科目を選択するもので、学生に選択の自由を与えた。同時に、研究に関する権限を「学部」に与えることになった。その結果、伝統的に、研究を目的とする大学の遺産を継承することになった。その後、学部教育がはじまったが、結果的には、大学院モデルの強い影響を受けることになった。1909年にエリオット学長がハーバード大学を去った後、学生は「安易」な科目を選択するようになった。
 そのような状況の中で、どのように学部教育を変革するかが課題である。これは単にカリキュラムだけの問題ではない。構造的問題である。基本的に、研究者は権威者であり、大学はそのパターンを受け継いでいる。教授が終身雇用(テニュア)を獲得するには、圧倒的にティーチングではなく、研究業績によるものである。ティーチングは、「後からの思いつき」に過ぎず、副次的である。その結果、多くの総合大学やカレッジ、そして、中には教育を重視し、大学院を持たないリベラルアーツ・カレッジにおいてでさえ、基本的な昇任・昇格の基準を「研究」としている。たしかに、教育による生産性は明確に測定できないところがある。すなわち、教育に関しては「良い仕事」をしているかどうか、誰も定かでない。それを知ることができるのは「学生」だけである。この学生からの意見は、わずかに「学生による授業評価」だけである。残念ながら、学生はクラス間の比較ができない。単に、受講しているクラスの授業だけである。しかも、「評価」の妥当性は不確かなものである。なぜなら、比較する規準が曖昧なうえ、質問項目にも問題がある。
 研究中心の学部教育の優越性は、権威主義を継承するという視点からも、簡単に減少することが困難で、したがって、変革も難しい。研究に重点を置かないリベラルアーツ・カレッジやジュニア・カレッジにおいても、それを組織するトップの考えは、研究優先の考えが根底にある。ジュニア・カレッジの教授陣も、もともと、大学院で研究して学位を授与され、専門分野を極め、そのような社会性を身につけている。そのような状況の中で、アーネスト・ボイヤーの『大学教授職の使命:スカラーシップ再考(Scholarship Reconsidered : Priorities of the Professoriate)』は影響を及ぼし、大学院教育でも “Scholarship of Teaching and Learning”(SoTL)の必要性が認められている。大学院のPh.D.においては研究成果が問われ、ティーチングに関しては、院生は指導教官からしか学ぶことができない。しかし、テニュア獲得するにはティーチングが重要になる。
 ノーベル物理学受賞者(注:カール・ワイマン博士を指す)は、現在、ブリティッシュ・コロンビア大学で教べんを執っているが、彼は学部教育における科学の授業に関心を持っている。一般的に、科学などの教員はその分野の優れた専門家であるかも知れないが、学生がどのように学ぶかについては全く無知で、教授法についてはほとんど知らない。

ジョン・タグ教授とディ・フィンク教授との世紀の対談

 この対談には筆者も加わって「鼎談」として収録した。2時間あまりの「長編」である。しかし、どこでも聞けない「付加価値」があり、示唆に富む内容である。日本語字幕がついて主体的学び研究所HPで無料公開している。この鼎談については「主体的学び」コラム13で「ジョン・タグ教授とディ・フィンク教授による『世紀の対談』映像への誘い~『教育パラダイム』と『学習パラダイム』における教育と学習を語る」と題して紹介している。この鼎談の中で、ジョン・タグから新書についての説明がある。彼の新書を機に、鼎談を再視聴することで、彼が何を伝えたかったかがより明らかになる。以下に、新書について注目すべき箇所を抜粋して紹介する。

 学習パラダイムと比較してみると、アクティブラーニングは教育パラダイムによる大学教育に関する思考の枠組みであるとジョン・タグは述べている。要するに、「学習パラダイム」の視点に立てば、現状のアクティブラーニングは今なお「教育パラダイム」の範疇ということかも知れない。鋭い指摘である。教育パラダイムは、今日、ほとんどの大学教員を支配している。すべての大学は、運営を認可する認定機関により、学習結果を評価することが義務づけられている。たいていの場合、各大学は学習結果を評価するが、その後はほとんど何もしない。つまり、学生の学びの成功や失敗を踏まえ、やり方を変えるということはしない。
 よく知られていることであるが、科学の教員が講義室で学生の前に座り、知ってほしいことを話すだけでは時間の無駄である。学生は学ばず、たとえ、学習してもすぐに忘れる。学生を前にして科学の講義を行うという方法は明らかに失敗である。アクティブラーニングを同じ授業に組み込めば、学生の成功率と学びに対する柔軟なたくましさが高まると多くの研究が示している。それにもかかわらず、大学側は評価方法や報奨制度を変えようとしない。さらに、教員の教育体制も変えようとしない。それは、機能しない方法でインセンティブが得られるからである。このような状況の中で、本書は、大学の変革がなぜこれほど困難なのか、そして、大学と教員が教育方法を変えることを可能にするために、どのような手段があるのかについてまとめたものである。
 根本的な議論の一つは、大学の教員に変革を強要する必要はないが、変革を容認する必要があるということである。
 アメリカやオーストラリアでの調査によると、どのように時間を過ごしたいか、なぜ大学教員になったのかという質問に対して、ほとんどの大学教授は教員になりたかったから、そして、主な目的は学生の学習を作り出すことだと回答している。彼らが働いている環境では、それを叶えることは出来ていない。学習パラダイム機関の発達を促進するために、現行システムを変えることを可能にする手段は何か。例えば、フィンク博士の著書のコースデザインが教育の基準になるということである。

(次号につづく)
(2020年10月5日)