主体的学び研究所

7.「主体的学び」と日本社会

 主体的学び研究所 顧問
土持ゲーリー法一

はじめに

 今回は、「主体的学び」が日本社会にどう馴染むかを考える。これに関連して、「1『主体的学び』とは何か」でも農耕民族社会と狩猟民族社会の比較考察を行っている。「主体的学び」(アクティブラーニング)を学校教育だけでなく、社会全体で定着させる北米(アメリカとカナダ)を中心に日本との違いを考える。同じ北米でも、アメリカとカナダとでは若干ニュアンスが違う。カナダ人は自分たちがアメリカ人と比較されることを好ましく思っていない。そこには、歴史的・民族的・文化的・言語的な違いがある。

「人種のるつぼ」か「モザイク」か

 これは、アメリカとカナダを峻別するときに使われる比喩的な表現である。アメリカは「アメリカ合衆国」と呼ばれるように、他民族・多文化国家で形成される。アメリカの民主主義思想の原点は、「人種のるつぼ」で象徴されるように、すべてを「融合」するとの考えを前提とする。この「融合」こそが、アメリカを理解する「鍵」になる。その代表的なものが星条旗を掲げ「国歌斉唱」することである。学校の授業はこの「融合」のセレモニーからはじまり、それで終わる。日本では考えられない慣習である。もちろん、日本でも学期や年度のはじめと終わりには様々な式があり、そこで国旗や校旗を掲揚したり斉唱したりしているが、儀式時に限定されている。アメリカ人は「融合」が好きである。それにも関わらず、未だに、人種差別があることは理解に苦しむところである。

 他方、同じ北米でもカナダの対応は異なる。カナダでは「モザイク」と言われるように、他民族・多文化を残したまま、統一を図っている。それが「バイリンガル」という二か国語を併用し、英語とフランス語を公用語としていることに表れている。どの会議でもバイリンガルが使用される。

 数十年前に、日本の学生をブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア市にあるビクトリア大学夏季英語集中講義に引率したことがある。そのときに、驚いたのは、東海岸のケベック州から多くのカナダ人が「英語研修」に国内留学していたことである。カナダ人はすべての人が英語を話せると思っていた筆者には青天の霹靂で、「カナダ人も英語が話せない人がいるんだ!」と驚愕した。周知のように、モザイクは色とりどりの形をしているが、一つにまとまっている。したがって、両国の「主体的学び」という考えにもニュアンスの違いを感じる。アメリカ人は自己主張が強いのに対して、カナダ人は文化・言語を尊重にしている印象が強い。筆者はFD研修などで、アメリカ人やカナダ人と接する機会が多いが、カナダ人の英語は丁寧でわかりやすいとの印象を持っている。

ブルーム理論とICE理論

 「学びの概念」にも変化が見られる。たとえば、アメリカはブルームのタクソノミーからも明らかなように、学びは基礎から段階的にはじめ、順次、レベルを高めるという考え方で、日本もその影響を強く受けている。

 一方、カナダはクイーンズ大学スー・ヤング博士のICEモデルに代表されるように、学びは段階的な「レベル」ではなくスパイラルで、「領域」において学びのプロセスを深めるという考えのICEモデルを開発した。この考えは、日本では未だにマイナーな研究分野であるが、「主体的学び」を考えるうえで重要な視点を提供している。

戦後日本高等教育の変遷

 戦後日本は、アメリカの影響を強く受けている。学校制度においても然りである。当時、アメリカ占領軍には、戦前の学校制度は「複雑多岐」かつ「非民主的」きわまりないと映った。高等教育制度においては、旧制高等学校と旧制大学が隔離して、別々に存在した。しかし、占領軍は、高等教育機関を統合し、旧制高等学校と旧制大学を「融合」させるべきだとの意見に固執した。そこでもアメリカ民主主義の原理を垣間見ることができた。そして、「新制大学」という名のもとに、旧制高等学校の教養教育と旧制大学の専門教育を形の上で「融合」させることになった。しかし、実態は「融合」どころか、「二重構造」をはらむ結果となった。この歴史的な「ボタンの掛け違い」が、現在の大学教育の「後遺症」となり根強く残っている。

「違いがわかる男の、ゴールドブレンド」

 筆者がアメリカから日本に戻った1980年代はじめごろ、テレビ・コマーシャルでネスカフェの「違いがわかる男の、ゴールドブレンド」が流行していた。「違い」のわからないことを美徳とする日本文化への挑戦ともいえる斬新な発想であった。「主体的学び」とは他者に迎合するのではなく、自らの学びを極め、「画一」性を嫌うことである。しかし、これまで日本の教育は画一的で「効率」が良いと世界からも賞賛された。これは喜ぶべきことなのだろうか。「効率」という言葉は、経済用語であって、教育用語ではない。教育は経済と違って質的評価を重視する。したがって、教育は「非効率」なほど良いということになる。帝京大学の教育理念に「自分流」という考えがあるが、これは「違いがわかる男の、ゴールドブレンド」に通じるものがある。

「主体的学び」とは「あなたは誰か」を問うことである

  一時期、『ソフィーの世界』が注目された。「あなたは誰ですか」を徹底的に追及する現代哲学版ともいえるものである。「6『主体的学び』とポートフォリオ」のところでは、学習者の「学びの哲学」(学習哲学)が重要であることを説明した。自分がどのような学習者であるかを気づくことが「学び方を学ぶ」原点になる。そのためには、一定の距離をおいて自らを見つめなおすことが重要でメタ認知と呼んでいる。フィンク博士は、これを「メタ学習者」と名づけている。

おわりに

 「主体的学び」は、国により、社会によりとらえ方が異なる。それが自然なのである。学ぶ楽しさを発見できれば、手段は問わない。アメリカの大学で学生に何を最も求めるかと教員に尋ねれば、多くが「好奇心(Curiosity)」と即座に答えるであろう。それに対して、日本の教員に同じ質問をすれば、少し躊躇して「モティベーション(意欲・やる気)」が低いことを嘆くことが多い。ここにも、「主体的学び」のなさが浸透している。2018年10月ノーベル医学生理学賞を授与した本庶佑・京都大学特別教授は、6つの「C」が時代を変える研究には必要であると述べている。6つの「C」とは、「C」は英語表記で好奇心(Curiosity)、勇気(Courage)、挑戦(Challenge)、確信(Confidence)、集中(Concentration)、継続(Continuation)の頭文字を表したものである。本庶氏は、冒頭に「好奇心」をあげている。

 意欲・やる気のない者の好奇心を高めるのは至難の業であるが、そこでは何が必要か。それは教員の教授法の工夫・改善以外にない。人間は環境の動物である。教育行政においても、教育環境を整えることが最優先課題である。大学は教員や職員だけ変わっても、本質は何も変わらない。当の学生のモティベーションをどう高めるか、大学として真摯に考える時代に直面している。

(2019年4月10日)