主体的学び研究所

「主体的学び」とアクティブラーニング

3「主体的学び」とアクティブラーニング

主体的学び研究所 顧問
土持ゲーリー法一

はじめに
 「主体的学び」とは何かについては、主体的学び研究所のHPで紹介している。「主体的学び」とは、能動的学修(学習)と同義語で、英語ではアクティブラーニングと表現されることが多い。「主体的学び」を具現化した学習活動がアクティブラーニングである。すなわち、両者は表裏一体の関係にある。実践・活動の側面が強調されたものをアクティブラーニングということができる。

なぜ、アクティブラーニングは定着しないのか
 文部科学省の指導もあって、高校や大学ではアクティブラーニング「ブーム」が巻き起こり、最近では、高大接続の「起爆剤」になるのではと考えられている。しかし、「笛吹けど踊らず」ではないが、アクティブラーニングがいっこうに定着しない。なぜ、アクティブラーニングは学校教育にうまく順応できないのか。それは、アクティブラーニングを「知識」と同じように学びの対象としているからである。アクティブラーニングは方法論であって、技能・技術の領域に相当する。
 国をあげてこれほど奨励しているにも関わらず、十分に定着しないのはアクティブラーニングが測定困難で評価が難しいと考えられているからである。なぜ、そのような消極的な考えになるのか。それは教員がこれまでの知識の評価と同じように、アクティブラーニングも同じように評価しようとしているからである。すなわち、アクティブラーニングを数量的に評価しようとしているところに難しさがある。

AI(人工知能)とアクティブラーニング
 2045年には、AI (人工知能) が人間を凌駕する時代が来ると予測されている。これまでの知識だけでは歯が立たない。この危機的な状況にどのようにチャレンジすべきであろうか。これこそが、学校教育、大学教育で直視して議論すべきことであるにも関わらず、その対策さえも見えない。
 そこで、この危機状況を打破する解決策を暗示する図1を以下に紹介する。筆者は、この図を著書の中で繰り返して紹介してきたが、改めて気づかされたところがある。それは、「コンピューター」のところである。これをAIに置き換えて考えてはどうだろうか。コンピューターは、「知識」の領域は「満点」である。その反面、技能・態度は「欠点だらけ」である。すなわち、技能・態度においては「無防備」であることがわかる。この技能・態度の領域こそが、人間がAIにチャレンジできる「武器」である。

 この技能・態度の領域に力を発揮するのがアクティブラーニングである。そのようなことは自明のことであるとの反論があるかも知れない。それにもかかわらず、アクティブラーニングが定着していないのも事実である。そこには、技能・態度の領域を測定できない「もどかしさ」がある。測定できなければ、評価不能となり、結果として、学校教育で定着するはずもない。
 では、「主体的学び」やアクティブラーニングは測定可能なのか。答えは、「イエス」である。それは図1からもわかるように、(ラーニング)ポートフォリオはすべての領域をカバーしていることがわかる。すなわち、知識はもとより、技能・態度の全体を網羅している。このように、すべてを測定評価できるのは、ポートフォリオしかないという結論に達する。

授業設計とアクティブラーニング
 アクティブラーニングが定着しないのは、それだけが原因ではない。「授業設計」を無視したアクティブラーニングが行われているからでもある。最近、「授業設計」とか「授業デザイン」の言葉が頻繁に使われるが、正しく使われていないように思われる。授業設計とは、英語のコースデザインに相当するもので、授業の根幹にかかわるものである。たとえば、「アクティブラーニングを授業で導入してみたい!」の類は、授業設計とは呼べず、それは授業計画のことである。
 授業設計とは何か。その定義づけについて以下に紹介する。L.ディー・フィンク博士は、「意義ある学習を目指す授業設計のための自己管理用手引き」(土持ゲーリー法一『ポートフォリオが日本の大学を変える~ティーチング/ラーニング/アカデミック・ポートフォリオの活用』(東信堂、2011年、付録5に収録)の序文の冒頭で、「私たちは、授業にあたって二つの密接に関連しているが、明らかに異なる活動に深くかかわる。一つ目は、情報を収集し、どのように授業を教えていくべきか多くのことを決めながら授業設計をおこなう。二つ目は、設計した授業を実行するにあたり、教員と学生の相互関係を培う。ここで述べる教員と学生の相互関係の概念は非常に広範な意味を持ち、講義、討論の指導、実習、助言、電子メールによる伝達などを含むものである。優れた指導をおこなうには、授業設計と教員と学生の相互関係の両方において有能でなければならない。」と述べている。
 すなわち、授業設計とは、情報を収集し、どのように授業を教えていくべきかの自問自答を繰り返しながら、「なぜ、この授業にアクティブラーニングが必要なのか」「どの単元でアクティブラーニングを導入すべきか」「どのようにアクティブラーニングを評価するのか」などの構想を練ることである。そして、それを授業計画(シラバス)に落とし込んで、アクティブラーニングを具現化することになる。フィンクは、これをわかりやすく説明するために、建築家が設計する図面に喩えて紹介している(詳細は、主体的学び研究所HPディー・フィンクと土持ゲーリー法一のFD対談を参照)。
 たとえば、コースデザインとシラバスについて、以下のように説明している。コースデザインとコースシラバスについては日本人だけでなくアメリカ人でも混同している。教員がコースをデザインする設計プロセスについての良い類推物は建築家だと述べている。建築家が建物を設計するとき、多くのことを考えなければならない。それらの全てのプロセスが設計プロセスである。建築家はこれらの全てが決定すると、それを設計図に落とし込み、図面にする。全く同じことが授業設計のプロセスでも言える。授業設計では、状況を判断して情報を集めて決定を行う。この場合、学生に何を学んで欲しいか、学習に最適なのはどのような学習行動か、どのような評価方法が良いか、どのような教授戦略を使いたいかなどである。これらが決定をしたら、それを学生に伝える必要がある。その書類がシラバスと呼ばれる。これは以下の図2の氷山に喩えるとわかりやすい。


 日本にも、フィンクと同じ考えをしている研究者がいる。たとえば、西之園春夫氏は、授業設計を「教材内容、学習環境、教師の行動などによってもたらされる効果を予測しながら、自らの教授行動を立案していくこと、すなわち仮説を形成していくことでもある。」と述べている。さらに西之園氏は、ここでの「仮説」とは、文章命題として表現されたものではなく、授業設計書に描かれた授業過程そのものを指す、と述べている。この観点によれば、授業設計とは、授業設計書に描かれる教育目標や教材、学習者の学習活動などはもちろんのこと、それらの背後にある発問、予想される反応なども含めた過程を事前に生み出す行為、と言うことができる。(出典:西之園晴夫「授業の過程」教育学大全集30、第一法規、1981)

考えるアクティブラーニング
 「『主体的学び』をどのように伸ばすか」の図表「意義ある学習を目指す授業設計」で能動的学習(アクティブラーニング)の3つの領域を紹介している。すなわち、「情報とアイデア」「経験」「省察」である。「経験」とは行動・観察・実践を指すところから、アクティブラーニングの多くが「経験」によるものだと考えがちである。事実、これまでそのように考えてきた。しかし、フィンク博士によれば、「省察」が、アクティブラーニングの本質であると述べている。「省察」は、英語のリフレクションのことである。これは「振り返り」と訳されているが不十分である。重要なことは、振り返って考えること、すなわち、「考える」ことに意義がある。以下の図3は、筆者の最近の著書『社会で通用する持続可能なアクティブラーニング~ICEモデルが大学と社会をつなぐ~』(東信堂、2017年)からの抜粋である。二匹の猿の違いを考えてもらいたい。「アクティブな猿と考える猿」である。これからのアクティブラーニングは「考える」ことに重点が置かれるべきである。

おわりに
 最後に、同じく拙著からの抜粋であるが、「考える」ことは、スポーツ界でも同じである。2016年5月24日に放映されたNHK首都圏ネットワークでは、「大学ラグビー7連覇 帝京大学の『勝者の哲学』とは」と題した報道された。帝京大学のラグビーは前人未到の7連覇を達成した。岩出雅之監督は「最優秀コーチ賞」を受賞した。注目すべきは、岩出監督の指導法である。ここにはスポーツ選手だけに限らず、すべてに通じる哲学がある。岩出監督は、一からすべて教えるのではなく、学生自身に「考えさせる」独特の指導法を取っている。岩出監督によれば、「成長するためには、本当に考えつづけないといけない」と語っている。たとえば、寮生活では、あえて違う学生が同じ部屋になるように配慮する。先輩と後輩が分け隔てなく議論できるようにするためである。実は、こうした環境が新しいアイデアを生み、チーム全体の強化につながる。固定概念にとらわれず、自分で考えて行動できる人間の成長を目指している。まさしく、リベラルアーツ的な考え方がラグビーというスポーツにも浸透している。

(2017年10月31日)