主体的学び研究所

キャリア教育の障害と「柔軟な専門性(Flexpeciality)]

キャリア教育の障害と「柔軟な専門性(Flexpeciality)]

本田由紀さんの「教育の職業的意義」を読む。日本では教育の職業的意義を学んでいないという指摘である。若年労働環境が悪化している今日、中等教育、高等教育での職業的意義の回復が焦眉の急である。職業教育に関する歴史、世界との比較、キャリア教育、職業的意義の構築の方向などが論じられている。

キャリア教育は障害であることを指摘している。1990年代の後半から国の施策として推進されてきた。「人間力」「生きる力」などの概念である。キャリア教育は勤労感や職業感の育成を範疇として、職業教育は知識や技能の育成を対象とするようになっている。キャリア教育には教育全体の目的と重なり非常に曖昧な意味付けとなる。現場の教師は具体的な学び方が明確でないことで、学習者は「将来の職業はきちんと考えて選びなさい」という一種の圧力としての教育になってしまう。さらには、教育の職業的意義は、本来「適正」の学びと「抵抗」の学びの両方が必要であるが、キャリア教育は「適正」のみを強調している。

教育の空間には余白が必要であるという。全て到達目標に向かってバックデザインされた教育プロセスを自覚して学ぶのではなく結果として成長していたという学びである。

「柔軟な専門性(Flexpeciality)」は秀逸な指摘である。専門性に関しての基盤を作るとそこから学際的な分野、リベラルアーツへの学習の広がりが発展していく。これは学習プロセスとしても実証されているが、現実の社会でも多くの実証例がある。ICEモデルとも通じるアクティブラーニングである。東京女子医科大学の「チュートリアル」という協働学習がある。女性医師の専門職を基本として社会人としての学びを症例研究を通じて、学生が授業の全てをつくる学びである。女性がもっと活躍する社会を、医師という専門職を意識する中で考えていく、まさに本田さんの言う「柔軟な専門性」ではないかと思う。

 

本田由紀「教育の職業的意義」(ちくま新書)

 

研究員 花岡隆一

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