この程、BYUの語学研修の現場を見学した知人よりその極意は、どこの言葉を習得するにもまずその言葉で記述されている名文を諳誦することから始めると聞く。
日本だけが学校教育で書き言葉を生きたものとして身につける鍛錬をやらない。文章は第三者、複数の人を意識して書くが、欧米人は会話においても書くように話しているという。会話の表現がユーモアや笑いを自然に取り込めるのは目の前の相手との関係だけでなく、第三者をいれる余裕をもっているからで、それが書くように話すということである。
漢字は名詞中心の思考であり、「どのように考える」「どう考える」というプロセスを考えることが不得手であるため深い考えができにくい。同じ漢字文化の中国では、漢字の組合せにより(配置)、様々な動きが出来て、多様な表現ができるという。唐詩などを読むと良く解るそうだ。(知人の中国人から)カナダで実践されているICEでは動詞を上手く使うことでプロセスの思考をもたらす。
外国語を生きた言葉として学ぶのは書き言葉を諳誦することというBYUの方法は裏付けがあると感じた。
研究員 花岡隆一
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