主体的学び研究所

2013年

帝京大学八王子キャンパス 広報の取組みを取材して

学生が中心になって広報活動をやっている素晴らしい取組みを紹介します。帝京大学八王子キャンパスの広報グループは、200名の学生に登録してもらい、学生が中心になって高校生への大学紹介を工夫しています。「共読ライブラリー」、プラスティー(+T)などの雑誌コンテンツ(webでも視聴できる)を編集しています。さらにiPad端末で大学での学びの多面性を紹介しています。(feel TEIKYO.com/実授業等をキーノートと写真、動画)

高大接続は今や社会問題にまでなっており、オープンキャンパスの在り方も問われています。倉部氏が取組んでいるWEEKDAY CAMPUS VISIT(高校生が実際の授業を受ける)や実授業を収録した映像の紹介等は、高校生の感性に強く訴えて正しい大学選定のための効果が期待されます。
(花岡隆一 記)

現場の知見を、多くの教育者・研究者に共有する研究所を目指して

はじめまして、当研究所のフェローを務める倉部です。
普段、私が向き合っている課題の多くは、以下の2つの分野にあたります。

・大学における教育改善の取り組み
・大学と高校生を繋ぐ取り組み(高大接続、大学広報)

これまで企業、大学、予備校、NPOなど様々な組織で働いてきました。その意味では学術研究の世界というよりも、問題解決のために実践を繰り返し、その中でリサーチの成果を積み上げてきた、という方が、実感に近いかも知れません。
当研究所でも、様々な課題に向き合っておられる研究者や教育者、現場の担当者の方々と一緒に、リサーチと実践を行っていきたいと思います。
また今後はこの研究所の取り組みについて、このブログでも少しずつご紹介してまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。

ところでいま、「主体的に学ぶ」ことの大切さを否定される方は、多くはないでしょう。
受動的な勉強から、能動的な学習へ。静的なインプットを繰り返すスタイルの学びから、アウトプットしながら能力を身に付ける学びへ。教育関係者の間でも、あるいはもっと広範な方々からも、こうした「学びのシフト」に対する期待の声は聞かれています。

社会の変化に伴い、学びのあり方も変えていくべきだという意見は、以前より頻繁に耳にするようになりました。その中でキーワードの一つになっているのが「主体性」や「主体的」といった言葉です。背景には、受動的な学習ばかりを中心に据えてきたこれまでの教育に対する反省もあるのでしょう。今後の社会に求められる人材像を考えた結果、主体的という言葉にたどり着いた人もいるでしょう。
(当研究所の顧問でもある土持ゲーリー法一・帝京大学教授が、「主体的学びとは何か」という文章を書かれているので、そちらもよろしければご覧ください)

そんな中、各地の教育現場では様々なアイディアが実践に移されています。例えば大学では近年、アクティブ・ラーニングと呼ばれる教育スタイルが注目されています。地域の企業や自治体、NPOなどと関わりながら、学生が自分達で様々な課題解決に挑戦し、その過程で様々なことを学ぶプロジェクト・ベースド・ラーニングなど、従来の講義スタイルの授業とは異なる実践も今では珍しくありません。
既に実験的な試みが各地で始まり、その中からは素晴らしい成果も生まれています。日本における「主体的学び」は、着実に広がり始めているようです。

そうした個人ベース、あるいは特定組織内での取り組みの中には、外部の教育者にとっても有用な知見が含まれているはずです。それらには学術研究の成果として発表されているものもあるでしょうが、中には世に知られていないものも多いでしょう。そんな知見を収集し、広く社会に共有するのも、この主体的学び研究所の活動の一つなのです。

「主体的学び」に、決まったスタイルや方法はありません。こうでなければ主体的学びとは言えない、と厳密に定義することは困難ですし、あまり意味も無いでしょう。でも「主体的な学び」を目指して様々な場所で実践されている個別の取り組みの中から、一定の効果を上げたやり方や、共通する要素を抽出することができれば、それは多くの教育現場で役に立つはずです。当研究所が行う研究は、そのように現場の取り組みに有用なものであることを目指しています。

多くの方々と協働し、日本における主体的学びの拡がりを加速させる、そんな研究所になれればと思っております。

新島襄、私立大学の創立に命をかけた男!

東京に唯ひとつの帝国大学という状況の中で、新島襄が描いた「リベラリズム」「地方」「個性」を重視した私立大学の創立の活動に感激する。西欧と日本の文化の差は教育にある。仏蘭西は鎌倉幕府のころにパリに大学があり、英国は北条のときにオックスフォード大学があり、ドイツは足利のことより大学が作られ既に三十を越える。米国は、大阪落城の六年後に移住した人々が十五年後にはハーバード大学をつくった。日本は徳川三百年の間に新発明はあったであろうか。西洋から技術、知恵、文化、法律、行政など形だけを輸入してまねしていても、日本には何も根付かない。徳育教育がないことで、日本人としての自立ができない。大学は官だけに任せてよいものではない。民間の力でリベラルアーツを学ぶ私立大学を何としても創る。新島襄の言う彼我の溝は相変わらず存在しているように思える。(花岡)

読書感想 「新島襄教育宗教論集」(岩波)

Dr. L. Dee Fink氏(元PODネットワーク会長)と帝京大学冲永佳史学長とのFD対談を視る!

2012年7月に、土持ゲーリー法一先生(帝京大学高等教育開発センター長)が主催した(Dr. L. Dee Fink氏(元PODネットワーク会長)の“Student Engagement”に関する講演を聞いてもっと詳しい話を聞きたいと思っていたところ、この程、同大学冲永佳史学長とのFD対談がアップされ、早速視聴しました。

21世紀の高等教育改革に関する具体的な方向性が詳しく示されていて、大変参考になります。皆さんに是非視聴して頂きたいと思います。

主体的学びをしたくても出来ない日本の現状、カリキュラムの見直しの必要性、アウトカムから授業設計を考える授業方法の工夫などの必要性。同氏が開発したTeam-Based Learning (TBL)について、PBLとの違い等も説明があります。教師が実質的なFDを取組むための大学側の対応も興味がある話です。

冲永氏が「社会に出てもずっと学び続けることを、学ぶことが一番大切です」と言う話が印象的です。(花岡)

https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/~ctl/newsletter/fd_talk.html

「自分たちはどうふるまうのか」学びの原則!

「3.11本当は何が起こったか:巨大津波と福島原発」

—科学の最前線を教材にした曉星国際学園「ヨハネ研究の森のコース」の教育実践−(丸山茂徳 監修、東信堂)

 

本当の科学者が、自ら学ぼうとする子どもたちと一緒に全力で授業を作り上げていく物語である。学ぶことの素晴らしさ、人間が脳を持っていることの意味が知らされる。丸山先生は科学者として全身で子どもたちにエネルギーをぶつける。子どもたちは、全身で質問をする。社会の在り方、科学的な探求のプロセス、知の体系化のプロセス、問題の抽出の方法論、哲学的思考を、中学生、高校生が質問していく。丸山先生はそれに真剣に答えていく。すさまじい授業である。

どうしてこんな教育現場が生まれるのか。出版者の東信堂の下田勝司社長も熱い。木更津にある「ヨハネ研究の森のコース」を訪ねたいと思う。(花岡)

読書:学生主体型授業の冒険

出版されたばかりの「学生主体型授業の冒険2」を読みました。現場で努力されている先生方の熱気が伝わってきて表題のごとく冒険に参加した気分であっという間に最後まで行きました。一言で学生主体と言ってもさまざまな取り組み方があり、また常に改善をめざし、場合によっては今までのやり方大きく変革することが求められていることが良く分かります。勢いで今まで読んでいなかった「学生主体型授業の冒険」も読みました。これらの実践に裏付けられた方法論・考え方・態度などが広く共有されることが重要であると思う一方で、読書だけではそれはできないであろう事も確かです。我々が少しでも貢献できることは何かと、考えさせられます。(小篠)

学生主体型授業の冒険  小田隆治・杉原真晃編著 ナカニシヤ出版 http://www.nakanishiya.co.jp/modules/myalbum/photo.php?lid=685

学生主体型授業の冒険2 小田隆治・杉原真晃編著 ナカニシヤ出版 http://www.nakanishiya.co.jp/modules/myalbum/photo.php?lid=905

Re: マグレールの「一般教育論」にみる主体的学び

日本の一般教育の恩人と言われるマグレールの言葉です。「学生が修めた一般教育の科目が彼らに刺激を与え未解決の問題をも解こうとする意欲を起こさせ受身の態度をすて、能動的な公民としての理念を漸次に注ぎ込む場合、学生は知的に益々伸び、又よりよき公民となるであろう。学生は社会及び世界が直面する問題に先ず関心をもって勉学し、その問題を独りで良心的に分析し、その解決のためにたとえ微力であっても活発に努力しようとするものである」このマグレールの趣旨とは全く違う専門教育の予備的なものとして「一般教育(ゼネラル・エデュケーション)」を位置付けてしまったところに、戦後の高等教育改革の混迷の大きな原因がある。(『戦後日本の高等教育改革政策』(土持ゲーリー法一著))

マグレールの言葉を噛みしめると、何故学ぶかという理念や目標が明確であり、それに従ったカリキュラムの設計が正当であれば、学ぶものに刺激を与えないはずはなく、学生が主体的に知識を関係づけて、自分の主張を持つという流れが自然にできると。
理念⇒目標⇒カリキュラム、そして有効な仕組みや制度という流れは、改めて基本であると思います。

 

花岡

ニューヨークロースクールのIT(授業収録)の先端的教室設計への挑戦

岩手大学(大学教育総合センター)の江本先生は、大学の教員•職員•学生のための教授技術学習システム『匠の技』の開発で著名です。

https://takumi.iwate-u.ac.jp/

 

9月にニューヨークの*NYLS(New York Law School)を訪問され、アクティブラーニングのためのITを活用した教室デザインの在り方を調査されました。

研究所で、江本先生からヒアリングをしたので概要を報告します。(花岡)

 

2012年PODでは「Pencils or Pixels」をテーマに授業へのIT導入で沢山の発表がありましたが、NYLSはその代表事例といってもよく、授業収録システムの第3世代を実現しています。第1世代は模擬裁判の授業を想定した大教室、第2世代は模擬面接(弁護士とクライアント等)想定の小教室、第3世代は、グループ討議のための中教室。教室のデザイン会社が、それぞれの目的に沿ったITの設計をしている。複数のカメラや天井マイクを教師や学生の授業での動線などを想定した設計になっている。(日本では、システム会社が授業の在り方を前提としたIT設計をしていることはまだ少ない)

NYLSでは、こうした設計の結果、学生のトレイニングの成果が確実に伸びているとのこと。

江本先生は、日本の授業収録等の教室設計も、今後は授業の在り方を前提として設計をする時代になってくると述べられています。

 

*  New York Law School

1891年に設立され、ニューヨークの法律学校は、法律、政府、金融街の中心近くにマンハッタン南端に位置する独立した法律学校です。。ニューヨーク·ロースクールでは、13,000人以上の卒業生を持ち、現在アメリカのビジネス、法律、金融、法律、不動産、税務、その5つの高度な学位プログラムのいくつかの1365のフルタイムの学生とそのJDプログラムと95の生徒で400パートタイムの学生が在籍しています。

 

高大連携の歴史とハーバード大学&シカゴ大学での実験

明けましておめでとうございます。

研究所が昨年末スタートしての新年です。清々しい気持ちで学びを深めたいと考えています。どうぞよろしくご指導の程お願いします。

 

巳年は、「高大連携」について、土持ゲーリー先生の『Higher Education Reform Policy in Postwar Japan(戦後日本の高等教育改革政策)』からの学びで始めます。

高大連携は、何と68年前の戦後に戻ります。ハーバード•カレッジ(今もその伝統は守られている)は、「人間の謙虚さ、人間性、柔軟性、批判制、視野の広さ、倫理•道徳感」が、責任ある市民(Citizenship)になるために大切とカリキュラムの基本としました。同じくして、アメリカでは、「リベラルアーツ」から「ゼネラル•エデュケーション」の導入で燃えていました。シカゴ大学(ハッチンス学長)の「シカゴプラン」と呼びます。中等教育との連携の上での高等教育を企図しました。(小泉信三、南原繁、上原専禄、奥井復太郎等が支持)つまり、「ゼネラル•エデュケーション」は、考え方、コミュニケーションの習熟、双方向の思考や判断力を学ぶためでした。(これは、文科省、中教審が最近一貫して主張していることでもあります)

そこでシカゴ大学の教育革命は、「講義形式」は一方的に情報を提供するに過ぎない、判断力を築くことこそ重要と「討論形式」の授業にしました。半世紀以上前のことです。(今、アクティブラーニング、主体的学び—と言われていることです—驚きませんか)

中等教育、カレッジという圧倒的多数(四年制大学に比し)に対しての「一般教育」(ゼネラル•エデュケーション)が成り立ってのユニバーシティの存在があると欧米では半世紀ずっとその考えでやってきました。人がひとであることは、即ち個人としてのアイデンティティを持つことであることを修練してきたのですね。制度の問題の前に、もう一度人間としての原点に戻って、『教育』を考えたいと思います。

 

花岡